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三界廻って碗

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<土着の神様と綴るヘンテコ民俗学小説> ▶  第1話 かみのみそしる ▶  第2話 賽の河原独立宣言 ▶  第3話 道祖神VS夕暮れイエロービースト ▶  第4話 ヤマアラシの山暮らし ▶  第5話 にゃんにゃーどやどやネコと和解せよ ▶  第6話 つちのこのこのこ元気の子 ▶  第7話 こまごました神とゴマゴマ炊き ▶  第8話 いろはにほへとちりへっぽ ▶  第9話 注文の多い因習村 ▶ 

三界廻って碗~第9話 注文の多い因習村~

私の普段暮らしている田舎町からさらに奥へ入ったところに、まるで山中にぽつんと取り残されたような集落がある。厳密には集落ではなく村らしいのだけど、それは人が勝手に決めた区分けなので、神の身である私には関係ない。村と呼ぼうと集落と呼ぼうとどっちでもいいのだ。 その山奥の集落は例に漏れずちょっとうるさくて、入り口に突き刺さった立札には、余所者への警告かのように村の決まりを書き連ねてあるのだ。こういう山中や離島にあるような集落は、都会と違って生活の場が土地に縛られていることもあって、独自の決まり事や風習のひとつやふたつはあるものだ。なんせ衣食住から仕事まで、生活のすべてがその土地で完結するのだから、おいそれと出ていくわけにも揉めるわけにもいかない。子どもが生まれたり世代が変わったりする都度、自然と決まりごとも増えていくし、たまに理由が失われたりもする。集落とはおおむねそういうものだ。 とはいえ、このようにわざわざ明文化している場所は珍しい。集落の決まりや掟などは暗黙の了解になっていて、知らずに移住してきた都会の若夫婦なんかが嫌な気持ちになって、そのうち出ていってしまうのがよくある話だ。 もしかしたら集落の中では親切な場所なのかもしれない。 ― ― ― ― ― ■■村にお越しの皆さま 入村の際には以下の決まりに従ってください 1.坂の上より先に許可なく立ち入るべからず 2.村外から神を招いてはならない 3.祭りの日は女は外に出てはならない 4.村内で生まれた子を占有してはならない ― ― ― ― ― △ △ △ 私は元人間とはいえ今では神の身であるので、わざわざ招かれざる土地へ行くつもりはないのだけど、さほど遠くない場所にあるからか数年に1度くらいは集落の入り口を通りがかる。最近はあちこちの交通の便も良くなって、こういう山奥では過疎化が著しいけれど、集落はまだ残っているようで、掟を記した看板も古びつつもしっかりと残っていた。 ― ― ― ― ― ■■村にお越しの皆さま 入村の際には以下の決まりに従ってください 1.坂の上より先に許可なく立ち入るべからず 2.村外から神を招いてはならない 3.祭りの日は女は外に出てはならない 4.村内で生まれた子を占有してはならない 5.祭りの日は7歳以上の男子は全員参加すること 6.〇〇池での釣りは当面の間禁止とする ― ― ― ― ― △ ...

聞いて聞いてFFT面白いよプレイ記小説「ダーラボンの娘は話が長い」

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この物語はファイナルファンタジータクティクス - イヴァリース クロニクルズを買った途端に日々ゲーム三昧になってしまった私が、小説書いてない後ろめたさを隠すために記したプレイ記代わりの二次創作小説である。 ≪登場人物≫ アリサ 明日のために働く元骸旅団の少女。アイテム士だったり弓使いだったり。小柄で非力な体格を、生き意地汚さと姑息な立ち回りで乗り切るのが得意。 マルガリータ・ダーラボン ボーアダム・ダーラボン教官の娘。ナイトだったり話術士だったり。父親の従軍経験が薄い反動か、やたらと前線に出たがる。そしてよく喋る。 ラムザ・ベオルブ 物語の主人公。名門ベオルブ家の三男。特に出番はない。 ディリータ・ハイラル 物語のもう一人の主人公。主な役割は全裸腹パン。 ◆❖◇❖◆ 私の名前はアリサ。スラム街出身で、ちょっと前まで骸旅団(※1)でアイテム士をやっていた。元々は前線要員として人買いに売り飛ばされたけど、ろくな物を食べてこなかったからか、年の割にチビで非力なので後方支援に回された。生まれた場所が場所なら、小さくてかわいい村のマスコット的な存在としてチヤホヤされたかもしれないけど、現実は非情である。汗臭い男たちに混じって盗賊家業に励む日々。ところが肝心の骸旅団本隊がかなり追い詰められてしまい、隙をみて仲間数人と一緒に夜逃げして、その足でガリランド(※2)まで落ち延びたのだ。 元々流れで兵隊になった程度の付き合い、地獄まで一緒に連れ添ってやる義理は無いのだ。 ※1【組織:骸旅団】 五十年戦争(終結済み)で恩賞を貰えなかった平民の義勇兵たちで結成した革命組織。中には元騎士もいるものの、見習い戦士だの盗賊だのといった面々がうろうろしている辺り、構成員の大半は職にあぶれた市民や反貴族的な思想を持つ農民だの売られた孤児だので形成される。のちのち頭目のウィーグラフと副団長のギュスタヴが内ゲバ的な争いをして滅ぶ。 ※2【地名:ガリランド】 士官アカデミーや魔法院のある魔法都市。ラムザ一行が最初に訪れる町で主に軽装備が売られている。なんかすごい魔法が学べるとかそういうことはない、魔法はJPを溜めて自力で学ぶしかないのだ。あと一部ラーニングで覚える類の魔法もある。 というわけで、せっかく生き延びても仕事がなくては話にならない。こんな状況下で盗賊になっても骸旅団と間違われて騎士団を派遣される...

彼女は狼の腹を撫でる

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≪自由都市ノルシュトロム編≫ 第01話  少女と機械と楽園 第02話  少女と借金おじさんと金貨 第03話  少女と騎士とモフモフ 第04話  少女と夜道とガールズトーク 第05話  少女と昔話と揺れる煙 第06話  少女と三日月と暁の星(前編) 第07話  少女と三日月と暁の星(後編) 第08話  少女と山賊とモチペッタン 第09話  少女と人魚と海の家 第10話  少女とババアと振り返り 第11話  少女と奴隷棒と職業訓練 第12話  少女と悪魔と天才美少女 第13話  少女とゴリラとパルクール 第14話  少女と雨と君の間に ≪開拓都市ワシュマイラ編≫ 第15話  少女とスコップと落とし穴 第16話  少女と蜂蜜とホットミード 第17話  少女と人狼と満ちる月 第18話  少女と人狼と欠ける月 第19話  少女とペンギンの騎士と海の王者 特別読切  竜と葡萄酒と世界の終わり ≪宗教都市タイタラス編≫ 第20話  少女と聖剣とでかい岩 第21話  少女と巨人と魔法の薬 第22話  少女と発掘屋と狼の足跡 第23話  少女と狼の遠吠えと巡る命 第24話  彼女は狼の腹を撫でる ≪城塞都市ロッシュシュタイン編≫ 第25話  少女と渡り鳥と空を飛ぶ夢 第26話  少女と都市伝説と死の舞踏 第27話  少女と猫の目と犬の散歩 第28話  少女と関所と針鼠 第29話  少女と盾と平和 第30話  少女と剣と武力 ≪幕間≫ 第31話  少女とババアとレーザーキャノン ≪ブランシェットの捕獲機編≫ 第32話  少女と春休みと大痛飲行進曲 第33話  少女と少年と真空飛び膝蹴り 第34話  少女と猫の群れと墓参り 第35話  少女と河童と尻子玉革命 第36話  少女とまじないと願いごと 第37話  少女と獅子と獣の数字 第38話  かくして母は失踪を終える 第39話  だけど彼女の旅は終わらない ≪旧王都パルビダパターナ編≫ 最終回   狼の末裔は今日もよく吠える ≪おまけ≫ 番外編   少女と野良犬と忘れ物 番外編2  少女とドレスと通り雨

彼女は狼の腹を撫でる 番外編 少女とドレスと通り雨

堅く閉じた瞳の向こう側では、不快な生温さと若干の粘性を備えた液体が飛礫のように飛び交っている。飛礫というよりは季節外れの雹、予期せぬ通り雨、誰かしらが仕掛けた冷めた餡かけの罠といったところかもしれない。どっちみち不快であることに変わりはないし、入念に櫛を入れて綺麗に編んだ赤毛も、水に落ちた野良犬の尻尾のように力無く垂れ下がる始末。 髪の毛だけならまだいい。いや、決して良くはないけど、まだ許そうという気にならなくもない。いや、ならないんだけど、人生には寛容さと妥協点が必要だ。しかしだ、母が気紛れにというか幸せのお裾分けにと買ってくれたドレスまで、池に落としたドブネズミのように濡れそぼってしまうと、さすがの私も腹が立ってくるというもの。 静かに瞼を起こすと、トマト投げ祭りの投擲のような勢いで飛んでくる唾の向こうで、妙齢の美しい女がこの世の悪意の煮凝りのような罵詈雑言を発し続けている。 まったくなんで私がこんな目に遭わなければならないのか。特に悪いことをした覚えもないのに、なんだか罪人のような気分になってくる。頑として自白しない犯罪者には、ありったけの唾と罵声を浴びせるといいかもしれない。そうだ、今度、騎士団の警察隊にでも教えてあげよう。この町の犯罪検挙率も上がるに違いない。 私の名前はフェンリス・ブランシェット。17歳、狩狼官。ウルフリード【狼を繋ぐ紐】の名を継ぐブランシェット家の13代目だけど、今は狼を繋ぐ紐というよりか床に溢れた牛乳を拭いた雑巾のような姿になっている。一体全体、私が何をしたというんだ。頭の上から滴る臭い液体に眉をしかめながら、事の敬意をゆっくりと頭の中で反芻させることにした。 事の始まりは先日のことだ。私の暮らす自由都市ノルシュトロム、その寂れた労働者街の一角にポツンと佇むアングルヘリング自警団事務所のカウンターで、いつものように珈琲を飲んで暇を持て余していると、少し前まで同僚だった青年が博打にでも負けた時のような暗い顔で事務所の扉を潜ってきた。本来であれば扉は開けるものだけど、事務所の扉は度重なる乱暴な借金取りの襲来で破壊されてしまい、元々の建てつけの悪さと資金繰りの悪さが重なった結果、扉だった物に強引に端材を打ち付けた、前にも横にも開かないオブジェクトと化してしまった。だから板と壁との隙間から強引に身を潜らせて出入りするしかないのだ。以上、説明終...

彼女は狼の腹を撫でる 番外編 少女と野良犬と忘れ物

「お嬢ちゃん、これからは警備員の時代だよ!」 かれこれそれなりの長きに渡って契約しているものの、相変わらずこれといった仕事も舞い込んでこないアングルヘリング自警団事務所で珈琲を飲んでいると、所長こと金欠で首の可動域が無くなったおじさんことフィッシャー・ヘリングがまた良からぬことを言い出した。おじさんは今でこそ友人より借金取りと喋る時間の方が長いものの、昔はそれなりに羽振りも良くて金持ちにも顔が利いていたらしく、時折その伝手を活かして危険だけど割のいい仕事を斡旋してもらっている。どうやら今回もその類の仕事のようで、その証拠に小銭を拾った少年のように目を輝かせている。 こういう時の仕事こそ危険なのだ。欲に目がくらむと碌なことがない、とはいえ人間は先立つものが無くては明日すら訪れないともいう。 私は理由あって未だに下宿に住んでいるのだけど、いよいよ更新の時期が迫ってきてるので、いつも以上に金が必要になる。 「詳しく聞かせて」 「お嬢ちゃんなら乗ってくれると思ってたよ」 おじさんが指を鳴らして笑顔を向けてくる。さっきより不安が一段階増したような気配を感じなくもないけど、自警団の仕事も本業の狩狼官の仕事も常に危険と隣り合わせなのだ。油断だけはしないように気をつけよう、頭の中で体に1本の鉄の柱を通すようなイメージを浮かべて、おじさんの差し出してきた書類に視線を落とした。 『ノルシュトロム新市街、警備員大募集! 世界一安全で清潔な街をあなたの手で守りましょう!』 妙に読み辛い、不必要にお洒落な字体で記された文章に目を滑らせながら、そういえば最近そんなのが出来てたようなと心当たりのある場所を思い浮かべる。確か郊外がしばらく工事中だった。シャロの散歩で工事現場の前を通った時に居住者を募集していた。家賃は目玉が飛び出るような金額で、1月住むだけで下宿10年分になりそうな高価な物件。嫌味なくらいあからさまに金持ち相手にしていますよ、と言葉にせずとも金額で示している、そんな物件だ。 私はそんな暮らしには一生縁がないだろうし、そんな余裕があればシャロの餌代に回す額を増やす。シャロは私の飼っている狼で、一言でいえば世界一かわいいもふもふ、ついでにいうと世界一賢い。 ちなみに新市街は住人の飼い犬や飼い猫の血統を守るために、外部からの動物の持ち込みは禁止なのだとか。皮肉交じりに言い換えれば、犬の散...

彼女は狼の腹を撫でる 最終回 狼の末裔は今日もよく吠える

可愛い子には旅をさせろ、なんて昔の人は言うけれど、今はとてもじゃないけどそんなこと言えないよね。 そう思ったのは、私の暮らす港町から旧王都へと向かう大陸横断鉄道の車窓から見える景色が、不穏極まりないというか、例えるならば今にも落ちそうな吊り橋の上をおっかなびっくり歩かされる時のような雰囲気を漂わせているからであって。 旧王都……そう、かつて王都だった都市【旧王都パルビダパターナ】が私の目的地だ。 王都はかつて大陸5大都市と並んで栄えていた大陸の中心地だった。しかし盛者必衰、昇った太陽は必ず沈む、上を向いて歩いていたら下から足関節極められる、世の中はいつでもどこでもそういう風に出来ていて、突如崩壊した5大都市のひとつからの大量の難民の流入、それと同時期に起きた主戦力の大量失踪事件などを経て、私が生まれる頃にはすでに内乱で滅んでしまっ ていた。 それまで独裁にも等しい剛腕を振るっていた王は処刑されてしまい、残った王族や貴族は各地に散り散りになり、世の中はぎりぎり秩序を保てる程度には荒れると思いきや、意外なことにそうはならなかった。 特にすでに独自の経済圏を築いていた以前の自由都市、現在の【代理首都ノルシュトロム】や南部の【開拓都市ワシュマイラ】、中央ですでに孤立に等しい状態にあった【城塞都市ロッシュシュタイン】は、ちょっと物騒になったくらいで元々のいいんだか悪いんだか絶妙な治安を維持し、唯一犯罪都市とも呼ばれていた大陸東部の【地下都市ザイマグル】だけが王都壊滅の煽りを受けて犯罪率を更に引き上げる結果となった。 それからのことは詳しく知らないけど、なんやかんやあってノルシュトロムの商人たちが亡命してきた旧王族の私財を丸々頂く条件付きで彼らを受け入れ、市長が代理首都として宣言したのが丁度私が産まれた年、今から18年前のこと。 そんなきな臭い火種になりそうなことをしても許される理由が、この大陸に唯一残った騎士団の存在。 それが【狼の騎士団】、私の所属する派遣鎮圧組織だ。 「おおう、さっそく町が燃えてる……」 車窓の外から見える景色の中、あちらこちらで盛大に火の手が上がっている。 今回の仕事も大変そうだなあ、なんて思いながら終点までの残り時間を静かに過ごすために、ゆっくりと目を閉じたのだった。 狼の騎士団所属、団員番号666番。私の名前は……。 むにゃむにゃ……。 「次は終点パ...

彼女は狼の腹を撫でる 第39話 だけど彼女の旅は終わらない

私の家で生まれた者が代々受け継ぐ名前ウルフリードは【狼を繋ぐ紐】を意味する称号だ。 初代ウルフリードは当時最高峰の狩狼官で、森の奥に潜む難敵、狼の悪魔を狩ることでその名を真実にした。 その後300年12代続いた歴代のウルフリードは、狼の悪魔の残した呪いに挑み続けた。 10代目ウルフリードは知識と検証を以って挑み、11代目ウルフリードは憎しみと暴力を以って挑み、12代目ウルフリードは偶然と運命によって、願いという呪いの真の姿を導き出した。 そして13代目ウルフリードにとっての狼を繋ぐ紐とは、狼を捕らえるものではなく、狼と誰かを繋ぐための紐だ。 狼はおそらく本来、人間にとってすごく近しい生き物だったのだ。あまりに近すぎて時には害を成すこともあるけど、人間ともっと近づこうとして怖がらせることもあったけど、人間と犬のように、もっとずっと近くで一緒にいたい生き物だったんじゃないかなって思う。 それがウルフリードが300年掛かって導き出せた現状の結論。 さあ、捕まえろ、ブランシェットの捕獲機、私の狼の紐よ。 ずっと欲しかったものは、ずっと会いたかった人間は、今ようやく目の前に現れてくれたぞ。 天から伸びる巨大な鎖が――私の考えた私のための狼を繋ぐ紐が――人ひとりすっぽりと閉じ込めるほどの大きな大きな金属製の吊り篭で獲物を捕まえて、鎖のさらに上に浮かぶ巨大な巻き取り機械によって天高く空高く持ち上げられる。 私は両手を伸ばして吊り篭を抱きしめるように掴み、ひんやりとした金属の感触を挟んで、吊り篭の中にいる相手の体温をゆっくりと感じ取った。 私の名前はフェンリス・ブランシェット。16歳、狩狼官。形だけとはいえブランシェット家の現在の当主で、13代目のウルフリード、狼と人間を繋ぐ紐。 「ウァン! ウァンウァン!」 地面に降ろされた吊り篭に向かって、愛犬で狼のシャロ・ブランシェットが尻尾をぶんぶんと振りながら吠える。シャロは世界一かわいいのは言うまでもないけど、狼の中では多分世界一賢い子でもあるので、吊り篭の中に閉じ込められている女が敵でも獲物でもないことを察してくれている。 尻尾の振り方からすると、どちらかというまでもなく案外好意的な様子だ。 それもそのはず、シャロの体がかつて人狼の少女だった時、少女は吊り篭の中の女と親しかったのだ。 そう、シャロ・ブランシェットはかつてフェンリス・ハ...

彼女は狼の腹を撫でる 第38話 かくして母は失踪を終える

 目の前には珈琲がひとつ、深煎りで苦めの濃いめ、砂糖も牛乳もなし。それとコーヒーゼリーにホイップクリームを多め。席は店奥の窓の前、とびきり眺めのいいところ。 向かい側の席にも珈琲がひとつ。角砂糖ふたつ、牛乳はなし。それと苦めのチョコレートをひとつふたつ。席は店奥の窓際。 その隣にも珈琲、角砂糖はひとつ、牛乳は小さじ1杯。それと紙巻の煙草、でも今日は火を付けず。 その向かい、私の隣にはレモネードがひとつ。チョコレートの欠片が散りばめられたクッキーは、すでに齧られている。 とぷんとぷんと角砂糖を溶かす音。 からりからりとかき混ぜられた珈琲から流れる甘い匂い。 窓の外では夏を迎えるような水気たっぷりの重たい雲。 ぱらぱらと地面を叩く軽い雨。 「久しぶりだね、フェンリス」 私は手元から立ち上る珈琲の香りをゆっくりと吸い込み、目の前に座る私とよく似た顔の女に視線を投げる。 「色々言いたいことはあるけど……まずはおかえり、お母さん」 私の名前はフェンリス・ブランシェット。16歳、狩狼官。形だけとはいえブランシェット家の現在の当主で、13代目のウルフリード、狼を繋ぐ紐。 ◆❖◇❖◆ ブランシェット家は狼に呪われた一族だ。 300年前、まだ少女だったメイジー・ブランシェットと当時の狼を繋ぐ紐と称された最高峰の狩狼官ウルフリードが、狼の悪魔の腹を鋏で裂き、石を詰めて縫い合わせて、川底に沈めて撃ち倒した。狼の悪魔は死の間際に『人間に愛される生き物に生まれ変わりたい』と願い、彼の抱いていたメイジーへの恋心はブランシェット家からは一人娘しか産まれない呪いの形で残ることとなった。 そして狼の悪魔は人狼の魔道士として生まれ変わり、彼と村娘の間に産まれた娘は死の間際に自身の魂を私の母へと宿し、私というブランシェット家の末裔として再びの生を得た。彼女の肉体は巨人の心臓という生命力の塊によって、シャロ・ブランシェットという狼として蘇り、私とシャロが家族となることで当初の狼の悪魔の願いとはちょっと違うものの、300年もの時を経て願いは成就されて呪いは消え去った。 そう、呪いは解けたのだ。 ブランシェット家の呪いを憎み続けた祖母の手で殺されかけた、よりにもよって人狼を産んでしまった私の母が姿をくらませる理由はもはや無く、同時に母のもうひとつの失踪理由、不死となって呪いを自分の体に留め続けるという...