彼女は狼の腹を撫でる 番外編 少女と野良犬と忘れ物

「お嬢ちゃん、これからは警備員の時代だよ!」
かれこれそれなりの長きに渡って契約しているものの、相変わらずこれといった仕事も舞い込んでこないアングルヘリング自警団事務所で珈琲を飲んでいると、所長こと金欠で首の可動域が無くなったおじさんことフィッシャー・ヘリングがまた良からぬことを言い出した。おじさんは今でこそ友人より借金取りと喋る時間の方が長いものの、昔はそれなりに羽振りも良くて金持ちにも顔が利いていたらしく、時折その伝手を活かして危険だけど割のいい仕事を斡旋してもらっている。どうやら今回もその類の仕事のようで、その証拠に小銭を拾った少年のように目を輝かせている。
こういう時の仕事こそ危険なのだ。欲に目がくらむと碌なことがない、とはいえ人間は先立つものが無くては明日すら訪れないともいう。
私は理由あって未だに下宿に住んでいるのだけど、いよいよ更新の時期が迫ってきてるので、いつも以上に金が必要になる。

「詳しく聞かせて」
「お嬢ちゃんなら乗ってくれると思ってたよ」

おじさんが指を鳴らして笑顔を向けてくる。さっきより不安が一段階増したような気配を感じなくもないけど、自警団の仕事も本業の狩狼官の仕事も常に危険と隣り合わせなのだ。油断だけはしないように気をつけよう、頭の中で体に1本の鉄の柱を通すようなイメージを浮かべて、おじさんの差し出してきた書類に視線を落とした。

『ノルシュトロム新市街、警備員大募集! 世界一安全で清潔な街をあなたの手で守りましょう!』

妙に読み辛い、不必要にお洒落な字体で記された文章に目を滑らせながら、そういえば最近そんなのが出来てたようなと心当たりのある場所を思い浮かべる。確か郊外がしばらく工事中だった。シャロの散歩で工事現場の前を通った時に居住者を募集していた。家賃は目玉が飛び出るような金額で、1月住むだけで下宿10年分になりそうな高価な物件。嫌味なくらいあからさまに金持ち相手にしていますよ、と言葉にせずとも金額で示している、そんな物件だ。
私はそんな暮らしには一生縁がないだろうし、そんな余裕があればシャロの餌代に回す額を増やす。シャロは私の飼っている狼で、一言でいえば世界一かわいいもふもふ、ついでにいうと世界一賢い。
ちなみに新市街は住人の飼い犬や飼い猫の血統を守るために、外部からの動物の持ち込みは禁止なのだとか。皮肉交じりに言い換えれば、犬の散歩であろうと決して立ち入るな、というわけだ。そういう先住者に敬意を払わない態度はどうかと思うけど、金を出すなら警備のひとつやふたつ引き受けてやろうという気にもなる。

「ぼくは借金があるせいで、新市街への立ち入りは禁止されてるけど、お嬢ちゃんは借金も前科も無いから」
いや、前科は無くはない。ノルシュトロムに来て間もない頃に、カジノ王の異名を持つ悪党を捕まえた際に3日ほど留置場に入れられたことがある。しかし留置所は留置所、あくまでも刑務所ではないので経歴上の前科には当たらないのだろうか。まあ、ノルシュトロムで留置場に入ったことのない者を数えたら、住民の半分にも満たないかもしれないので、単に大目に見てもらっているだけかもしれない。
私の周りに物騒な人間が集まっているだけ、という可能性はこの際だから破棄しておく。私の周りの人間が危ないのではない、私の周りの環境が危ないってだけなのだ。

「……どうせなら妹と一緒がよかったな」
「義妹ちゃんってあの子だっけ? 確か魔道士で、名前は、えーっと」

ファウスト・グレムナードとは元々姉妹のようなものだったけど、色々あって彼女の養父と長らく失踪していた私の母が夫婦になったことで、本当に義理の妹となった。少し前まで下宿の同じ部屋で暮らしていたけど、最近は研究の為に学院に勝手に作った自室で過ごしていて、数日前から研究発表も兼ねて王都のアルマンダル魔術学院に出張中。彼女は学院――ノルシュトロム唯一の魔道士育成機関【メフィストフェレス魔道学院】の次席であり、学院創設以来の天才なのだそうだ。14歳の若さにして高等部生に混じって魔王の如く振る舞っている。

最初こそ母と養父カール・エフライム・グレムナードの結婚に反対していたものの、しばらくして何を言っても無駄だと悟ったのか、今では文句のひとつも出てこなくなった。おそらくこれが大人の階段を上るということなのだろう、あまり上りたくない階段だけど。
私はファウストより幾年か大人ではあるので、最初から二人の新婚生活をどうこうしようとも思わない。とはいえ、さすがに番いの男女とひとつ屋根の下で暮らすのも気が引けるので、同居はせずに下宿暮らしを続けている。もちろん新婚旅行に同行するはずもなく、こうして今日も自分の怠惰と生活を天秤に掛けて、珈琲を飲み終えて、結果として労働意欲を漲らせているわけだ。


私の名前はフェンリス・ブランシェット。17歳、狩狼官。先代でもある母が現役復帰したとはいえ歴としたブランシェット家の13代目で、ウルフリード【狼を繋ぐ紐】の名を継いでいる。そして悲しいかな、シャロは下宿でお留守番。まったく、綺麗な出来立ての住宅地なんて、絶好の散歩場所のはずなのに。



◆❖◇❖◆



新市街は世界一安全で清潔な街をテーマに建設された富裕層御用達の貴族街だ。
辺境にありながら王都に次ぐ規模を誇る大陸5大都市のひとつである自由都市ノルシュトロムの郊外に築かれ、正直治安がいいとは言い難い雑多で騒々しい街の気風とは対照的に、異常に静かで清潔で文字通り塵ひとつ落ちていない。それもそのはず、新市街にはノルシュトロムとは異なる独自の刑法が使用されていて、例えば唾を吐くと問答無用で禁固刑であるとか、ごみを捨てると捨てた方の手を15回転ほど機械で捻じり上げるとか、食べ歩きをした場合は30日間の断食刑に処されるとか、とにかく冗談では済まない厳しさの罰則が儲けられ、住民の安全と財産を守るという名目で屈強な警備兵たちが区画ごとに配置されている。
安全ではあるけれど、ものすごくつまらない。そういう制約の多い街だからレストランこそ無くはないものの、屋台や出店といった類のものは一切なく、食糧品店にもそのままでは食べないような食材しか売っていない。パンはおろかトマトやオレンジすら置かない辺り、この新市街を絶対に汚さないという強い意志というか拘り、ここまでくると意地のようなものを感じる。なお、パンや果物を買いたい場合は専用の配達業者に頼んで、絶対に屋外で開封しないように見張られるとのこと。

こんなところ却って住みづらいだろうに金持ちというのは解らないもので、安全であることに違いはないからか、それとも怖いもの見たさか、単に金持ちには悪趣味な人が多いのか、現在でも移住希望者は後を絶たない。

「……こんなことならレイルに貴族のことを教えてもらっておくべきだった」
「そういえばレイルさんは居ないの?」
「遠征に行ってるよ」

向かいの歩道で暴徒鎮圧用の警棒も兼ねた誘導旗を構えた少年に、短く的確な答えを放る。
彼の名はエリオ・ガーランド、下宿の女将さんの甥でノルシュトロム公立第六高校に通う16歳。女将さんが言うには高校生というのは何かと金が入り用になるそうで、休日になるとアングルヘリング自警団事務所で働いている。勉学の成績は下から数えた方が早いとのことだけど、学校に通ったことのない私よりはさすがに優秀だろう。ちなみに運動や武術の成績もさっぱりらしく、放課後になると時々レイルに鍛えてもらっている。レイル曰く、風に揺れる案山子の方がまだ手強いのだとか。
そんな彼の師匠というか家庭教師というか指導員というか、少し前まで私の同僚でもあったレイル・ド・ロウンは、元々所属していた聖堂騎士団への復帰が叶い、遠征の真っ最中。きっと今頃、新米騎士の尻を叩きながら訓練に明け暮れているに違いない。なんていうか根は真面目だから。

「ってことは、鬼の居ぬ間にってやつだね。ウルさん、今度一緒に出かけようよ」
「やだよ」

エリオはどういうわけか私に気があるらしく、さらにどういうわけかレイルを一方的にライバル視している節もある。もしかしたらレイルに鍛錬を頼んでいるのも、隙を見つけて毒でも盛ろうとしているのかもしれない。勝手に私を巡って争わないで欲しいし、そもそも私は誰のものでもないので、仮にそんな争いがあったとしても不毛でしかない。ないのだけど、女将さん曰く、男という生き物は基本的に不毛な争いを起こすのだそうだ。
ならば仕方ない、私が口を挟むことでもないなと放置している。今のところ毒を盛られた話は耳にしていないので、毒を盛られたら考えることにする。そもそも一介の学生が毒を手に入れるのは難易度が高いから、起こるとしたら闇討ちか不意打ちかもしれない。学生が不意打ちでどうにか出来る相手でもないから心配は無用だけど。


それにしても暇だ。おじさんが割のいい仕事だというのも納得してしまう。
世界一安全を謳っているわけだから、当然その辺りを歩いているだけでは事件は起こらない。通り魔もいなければ強盗も現れない。動物も小鳥くらいしかいないせいで、そんなに微笑ましいことも起きてくれない。日がな一日、街角に立っているだけでそれなりの給料が発生するのだから、警備員という仕事は悪くない。
本当は喫茶店か映画館で働きたいと思っているものの、どういうわけかそっちはいつまで経っても求人が出ない。であるならば、本意でない仕事をする以上、金稼ぎの手段はなるべく楽で負担のないものを選ぶべきだ。そういう意味では、この手のその場所に立っていることにこそ意味のある仕事は、最適解であるともいえる。
もちろん危険と隣り合わせになる場合もあるのだけど、今のところそんなことは起こりそうにもない。

「平和がいちば……ん?」

うっかり欠伸をしそうにしていると、通りの向こうから、夏も過ぎたというのに日傘を差して、冬でもないのに二の腕から先をしっかりと長い手袋で覆い、誰か見ているわけでもないのに頭から首から指から腰から、全身のありとあらゆる場所から黄金色に輝く宝石や装飾品を提げた婦人が歩いてくる。初めこそ退屈そうな表情をしていたけど、視界に映った私とエリオを認識した途端に、餌を見つけた爬虫類のように目を見開いて足早に間合いを詰め、ひとことで形容するならば醜悪としか例えようのないものへと変貌させた。

いかにも性格の悪そうな金持ちの婦人は、泥の詰まった側溝でも覗き込むように顔面を歪め、鼻を摘まみながら、
「あらぁ、今日の警備員は随分と頼り無さそうねえ? おまけにまだションベン臭そうな子供じゃないの、大丈夫なのぉ?」
あなたの性格こそ大丈夫なのぉ、なんて言い返したくなる気持ちは胸の奥に仕舞って、適当に相槌を打ちながらやり過ごす。いつもだったら問答無用で飛び膝蹴りでも撃ち込む流れだけど、私もノルシュトロムに引っ越して1年以上、なんのかんのいっても17歳だ。売られた喧嘩を馬鹿正直に買うような安い女ではないし、安い挑発に乗るような間抜けでもないのだ。

「頼むわよぉ。薄汚くて貧乏くさいあんたたちに、この街の空気を吸うことを許してあげてるんだからぁ」
「へぇー、新市街って空気まで有料なんですね。中心街に行けば空気なんて吸い放題ですよ」
「あぁん? なによ、この平坦女。ねぇ、そこの坊や、口の利き方を躾ておきなさ……ぐぇっ!」
安い挑発に乗らないとは言ったけど、安い喧嘩を買わないとは言ってない。婦人の死角から足を振り上げて、ピンと伸ばした爪先を鳩尾に突き刺すように滑り込ませ、体が持ち上がった瞬間に膝を伸ばす要領で力を一気に開放する。

婦人を蹴り飛ばしながら、ふっと空を見上げた瞬間、灰色の円形をした、形容するならば空飛ぶ金ダライの化け物とでも呼べそうな物体が視界に飛び込んでくる。大きさは然程でもない、遠距離にあるから多少の誤差はあるかもしれないけど、せいぜい両手で抱えられる程度。速度は鳩と同程度。ノルシュトロムで人工飛行物を禁止する法律はないけど、そもそも発動機付きの車でさえ使用が制限がされる情勢下で、人工飛行物を開発する技術や権力を持つ組織などごくわずかだろう。ということは、あの空飛ぶ金ダライは新市街の監視用かもしれない。

「もしかして警備用の機械?」
だとしたら非常にまずい。どう贔屓目に考えても婦人が絶対的に悪いとはいえ、金持ちに物の道理は通用しない。黒といえば純白も漆黒に変えてしまうのが金持ちという人種で、どんなに善でも悪といえば悪にさせてしまうような横柄さを供えている。それに加えて、ノルシュトロムの治安を守る治安維持組織である騎士団は、王都から派遣された直轄組織で貴族との関係が強い。貴族の言い分と民間人の言い分を天秤に掛けたら、貴族側に勝手に重量物を乗せる類の工作をしないとも言い切れない。
中心街を担当する聖堂騎士団であれば、レイルや騎士団長にも顔が利くので見逃してもらえるだろうけど、新市街を担当するのは金剛騎士団というまた別の組織。街区完成と同時期に派遣されてきたので未だに顔も名前も知らなければ、当然知人のひとりもいない。

打てる手は最早ひとつ、証拠隠滅しかない。

なんだなんだと、珍しいもの見たさに集まってきた他の警備員に混じって、改めて空飛ぶ金タライを見上げる。誰もこの空飛ぶタライに心当たりがないらしく、見るからに騎士団に所属していそうな背格好の男たちも不思議そうに見上げている。
ということは、市街地の警備側でも管理側でもない何者かの仕業か。私を陥れる為の道具である可能性がぐっと下がったことで、思わず安堵の域を吐き出すと、空タライは突如として中心部が箱のように開き、この場所に似つかわしくない音を響かせた。
放たれたのは赤い光を纏った無数の燃焼物で、私と婦人のいた地点を中心に暴力的に降り注いでくる。私は瞬時に隠し持っていた狩狼道具を展開し、一対の大型の盾を形成してみせた。片方は私の真上に屋根のように掲げ、もう片方は倒れている婦人へと放り投げる。


【城塞のハッセンプフルーク】
かつて王国の高級官僚であったハッセンプフルーク家の邸宅兼城塞を、外敵から守る防壁を改造した攻防一体のシールド。
左右1対の大型シールドで、内側のブースターを使った加速を乗せたシールドバッシュも繰り出せる。
シールドは可動部を調整したことにより、守備方向を変えることや取り外して誰かに渡すことも可能となった。


燃焼物は頑強な防壁に阻まれて周囲へと虚しく散らばり、無駄だと悟ったのか武器が尽きたのか、空タライは追撃を繰り出すことなく、伝書鳩のように元来た方角へと戻っていった。
不幸中の幸い、婦人は飛んできた盾の直撃を受けて更に悶絶しているけど、圧し潰されるように下に追いやられたおかげで炎からは難を逃れている。
「よかった! 私の勘が正しかった!」
「いや、絶対違うよ……ぬぶぇっ!」
横槍を入れてくるエリオの眉間を握り拳の側面で押して言葉を遮り、集まっていた警備員たちに消火隊への連絡を促す。眉間を押さえて地面を転がるエリオはさておき、突然の奇襲での被害者はゼロ。物的被害もせいぜい、その辺の街路樹や植え込みが燃えている程度だ。
しかし奇襲が予想外だったのか、警備員たちの表情には焦りというか驚きというか、かろうじてそういう焦燥のような感情が浮かび、それを覆い尽くす程の、なんか知らないけどめんどくさいことが起きたな、という感情が張り付いている。私も同感だ。
世界一安全で清潔を謳うくらいだから、立っているだけで収入になると期待していたのに、こんな騒動に巻き込まれるなんて。どんな平和も崩れる時はあっという間だ。この前見たハリボテのサメがキッチンの三角コーナーで大暴れする映画で、平和は砂山のようなものだ、なんて言ってたなと思い出しながら、私は転がる勢い余って燃える植え込みに突っ込んだエリオを放置して、タライの消えていった方角へと駆け出した。



タライの消えた場所は新市街と外とを隔てる壁の向こう側、私たちが普段暮らしている街の一角。ノルシュトロムの街並みは巨大な運河へと結ばれる水門そのものを都市中枢に置き、人工物からの発展という経緯からか秩序立てて構築され、多数の交差する十字路で区切られた区画は用途に応じて明確に色分けられている。ベンガラで塗られた赤い屋根が立ち並ぶ区画は、最近観光地化された遊興街で私も何度か映画館に足を運んだことがある。映画館の他に、賭博場や闘技場、闘鶏場、闘牛場なんかもあって、どちらかというとギャンブル好きの駄目な大人の集会所といった側面が強い。

私も先日、ブモーラ号という立派な角をした牛に賭けて大負けした。まさか連戦連敗のモーモン号が勝つとは思わなかった。手堅く勝とうと思った私が間違いだった、やはり博打は大穴を狙い続けるべきだと悔い改めたのだった。あそこで勝っていたら、今頃喫茶店で普段注文しないような珈琲と、ホイップクリームをたっぷり乗せたコーヒーゼリーを満喫していたはずなのに。

いや、そんなことはどうでもよくて、今は空飛ぶ金ダライの化け物だ。両手に抱えられる大きさの妙な物体を持ち運んでいる人間、そんな奇妙な風体の人間、居たらすぐに気づくはずだ。
密林で獲物を探るように意識を集中させ、無数の針に糸を差し込むように周囲を見渡す。昼間という時間帯もあって開いている店は少ない、映画館、賭博場が一箇所、あとは喫茶店と酒屋くらい。もしこの中に隠れるとしたら、私だったら賭博場を選ぶ。映画館は逃げ場がない上にそんな荷物を持ち込むのは不自然だ。喫茶店と酒屋も同様、仮に店主や従業員であれば話は別だけど、もしこの辺りで働いているとすればわざわざ顔の知られた場所で実行するような真似はしない。
けれど賭博場であれば、軍資金を厳重にケースに運んでいても不思議ではないし、大きな鞄の類は決して珍しくもない。
私は自分の分析と勘を信じて、賭博場の扉を押した。これはあくまでも分析と勘による調査であって、決して賭博場で遊びたいわけではない。先日の負け分を取り返そうなんて気持ちはさらさらないし、犯人を探し出すなんて警備員の業務の範疇を超えているのだから遊んでもいいはずだとも思ってないし、カードにするか闘牛にするか迷ってなんていないし、軍資金が無いから床にハンパート硬貨でも落ちてないかなとか考えてない、断じて。

「たのもーう!」
「へい、いらっしゃ……てめえ、ウルフリード! なにしに来やがった!」
「なにしにって賭け事だけど……誰?」
「覚えてねえのか!? 俺だよ、俺!」

扉を開けた途端に怒声を浴びせてきたのは、まったく見覚えのない老齢の白髪男だ。人相が悪い以外の特徴があまりなく、正直言って人相の悪い人間はこの1年程の間に見飽きるくらい見てきたので、いちいち覚えていられない。
「本当に覚えてねえのか!? 俺だよ、カジノ王ジャック・ポット!」
この人相の悪い白髪老人はジャック・ポットという名で、自分でカジノ王を名乗るような、なんていうか痛々しい男だ。この男が言うには、1年以上前まで中心街にカジノを構えていたのだけど、賭けに負けたからといって暴れるような不届き者に店を壊され、そのまま気絶させられて逮捕されてしまった。その不届き者は、今のご時勢には珍しい狩狼官でウルフリードの名を名乗っていたのだという。

「……まさかウルフリードの名を騙る奴がいるとは」
「てめえだよ、てめえ! てめえが店ぶっ壊して、俺のこともぶっ倒しやがったんだよ!」
「いや、そんなことするわけないでしょ」

なんて失礼な男だ。私のような正々堂々としたギャンブラーが、そんな惨めな振る舞いをするはずがないのに。さては牢獄に入っている間に頭がおかしくなるような悲惨な目に遭ったに違いない。牢屋に入れられるような行いが悪いとはいえ、その境遇にはさすがに同情を禁じ得ない。額に青筋を浮かべる男に向けて静かに手を合わせ、気の毒な身を悼むように頭を下げておく。

「いや、そんなことより不審な人物が来なかった? 両手で抱えるような大きさの、金ダライみたいな物体を持ってるはずなんだけど」
「ああ? 金ダライだあ? そんな変な奴はここには」
「……あ、いた」
「……いるなあ」

賭博場の中ではひとりの中年男が、なにをどう誤魔化せると思ったのか、折り畳み式の台車の上に例の金ダライのような物体を乗せて、さらにハンドル部分に紐で結んで引っ張り、まるで犬でも散歩させているかのように歩き回っていた。時折本物の犬を撫でるように金ダライを上から撫で回し、よーしよしよしと褒めるように声を掛けている。その度にガチャガチャと金属音が響いているものの、男はやめる気配もなければ気にする素振りすら見せない。
ついさっき金持ちは変な人種だなって思ったけど、博打狂いも変な人種であることに変わりはない。男は食べ物には困ってなさそうな体躯をしているものの、おおよそ真面目に定職に就いているようには見えず、シャツのくたびれ具合から儲かっているようにも見えない。博打の才能があるようにも見えないし、傍目には頭がおかしくなったようにしか見えない。

「ねえ、その金ダライみたいな荷物だけど」
「なんだ? 俺の愛犬に何か用かい、お嬢さん。撫でさせてもいいけどタダでは困るぜ、犬と野郎は揃いも揃って美女に弱いからな。すぐに寝取られちまうんだ!」
男は気の利かない冗談なのか、狂人なりの本音なのか、酔っ払いみたいな口調を調整の狂ったような大声に乗せた。


ガルム・カラッドは賭博場の常連だ。元を辿れば王都でそれなりに顔の広い資産家の息子で、学生時代には勉強よりも先に博打と危ない薬を覚えた。素行不良で中退して、それから先は親の脛を骨髄が剥き出しになるまで齧り尽くす毎日。要するに筋金入りのドラ息子で、豪邸も不動産も広大な畑も全て売り払って、今は郊外の河川敷で寝て、道端で煙草の吸殻を拾うのが仕事――というのが本人による自己紹介を要約したもの。


「それでだ、俺は思いついたんだ。ギャンブルってのは胴元が必ず勝つような仕組みになっている。俺はそれには文句はない、俺は胴元とは仲良くする主義だ。ご要望とあらばデートだってする。ギャンブラーだって好きだ、ひりひりする刺激で脳を焼くのは俺たちにとっては宗教だ」
ガルム・カラッドは調子よく捲し立て続けている。以前、借金漬けのおじさんがこんな調子で長々と謎の理論を語ってたことがあったけど、ギャンブルで脳を焼かれた人間はみんな謎の理屈を語りたがる病気になるのかもしれない。
私も気をつけよう、カウンターの上のルーレットを回しながら心に誓う。

「それでだ、先日えらく儲かってる兄弟がいたから声を掛けたんだ。もちろん血の繋がりはない、でも兄弟だ。だって同じ神を信仰してる。同じ神を信仰してるってことは、お互いの財産も同じ神の所有物だ、要するにあいつのものは俺のもの、俺のものはあいつのもの。あいつの勝ち分は俺のものだし、俺が詰め直した紙巻き煙草だってあいつも吸う権利がある。俺はちょっと飯代をくれって言ったんだ、ちょっとそこの安居酒屋で豚丼と高級ワインをしゃれこもうぜってな。そしたら、これだ!」
ガルム・カラッドが丸太のような腕を振り回す仕草をして、その直後に自分の頬をぺちぺちと叩いてみせた。賭博場でたまたま一緒になった男に金を要求して、当然のように殴られて、おまけに連れの護衛らしき男たちからこっぴどく蹴り回されたらしい。それも当然だ、だって他人は兄弟ではない。

「それでだ、俺はそいつのことを調べ上げた。名前はアルフレッド・バレンディー、新市街地で暮らす大富豪。酷いと思わないか、自分は腐るほど金を持ってるのに、金に困った兄弟を助けてくれないんだ。温厚な俺もさすがに腹が立った、こんなに腸が煮えくり返ったのは、隣のテーブルに置かれたラーメンのチャーシューが、俺のより1枚多かった時以来だ! そこでこいつの出番だ!」
それにしてもよく喋る。きっと本気で自分は間違ったことを言ってないと思っているのだろうか。


【メランコリア】
王都の地下競売で手に入れたこいつは、とある狩狼官の家系から持ち出された、世界中にばら撒かれた狩狼道具のひとつだ。直径1メートル半ほどの円形の飛行物体で、本来は人里を襲う猛獣の群れの巣や犯罪集団の拠点を制圧するためのもの。狙った標的の元へと移動し、大量の発火弾を撃ち込んで帰還する、それも全自動でだ! どうだ、すごいだろう!?


「こいつはただの犬じゃない、俺の仇討ちをしてくれる最高のパートナーなのさ!」
ガルム・カラッドは相変わらず饒舌に口を動かし、人の手柄を横取りするかのように機械の説明まで披露し、メランコリアを愛犬にするかのように撫で回す。もちろん犬であるはずがない、単なる機械だ。
とある狩狼官の家系というのは、十中八九ブランシェット家のことで間違いない。私の実家では母と祖母との間で一悶着あって、母が疾走すると同時にほとんどの機械を持ち出して、挙句の果てに世界中にばら撒いてしまった。大半の機械は私が回収したけれど、こうしてたまに忘れた頃に目の前に現れることがある。現れたからには回収しないといけないし、悪用された上にうっかりブランシェット家のものだと知られても困る。
よって選択肢はひとつだ、力づくでも奪い取るしかない。
目の前の男に蹴りを繰り出そうとしたその時、

「やっぱりてめえだったか! この貧乏デブ!」
「よお、兄弟。どうしたんだよ、そんなダチョウが鉛玉喰らったような顔して!」

賭博場に身形の良い40歳ほどの、金色の長い髪をアイベックスの角のように巻き、さらに余った部分をドリアンの表面のようにツンツンと尖らせた、なんていうか斬新なとしか言いようのない髪型の男が駆け込んできた。その傍らには全体的に薄っすら焼け焦げたエリオがいて、走りつかれたのかゲホゲホと咳込みながら、口から煙を吐き出している。
「ウルさん、この人は、さっきのご婦人のご主人で……」
「さらには俺のご友人だ。ここではブラックジャックにご執心のな」
ガルム・カラッドが韻を踏むように割り込んでくる。その調子に悪鬼のように吊り上がった眼が、いよいよ縦になってしまうのではってくらい鋭く吊り上げる。

「ええと、説明を続けると、この人はアルフレッド・バレンディーさん。新市街に暮らす富豪のひとりで、王都出身の貴族。仕事は不動産売買や先進的な事業への投資、近々ノルシュトロム政治局の運営委員に立候補する予定」
エリオが頭から薄っすらと煙を立ち昇らせながら説明を続ける。ちゃんと授業を受けているからか、説明も中々に解りやすく纏まっている。

どうやら妻を強襲されて発火弾まで撃ち込まれたことに激怒し、無事で済んだとはいえ当然許すつもりはない。あ、私が蹴ったのは緊急避難ということで寛大な心で許して欲しい。
「この薄汚い豚野郎、てめえは絶対に許さねえ!」
バレンディーの奇抜な髪型が、どういう原理かは不明だけど怒りの余り角部分が天井へと向く。怒髪天を衝くとはまさにこのことだ。

天を衝くのは怒髪だけではない。バレンディーは怒りに任せて拳を、それも全部の指にごてごてとした金属の輪を嵌めた拳を、猪の牙のようにかち上げてガルム・カラッドの顎を突き刺し、そのまま腕を真上へと振りかざすように持ち上げる。当然、顎を打たれて脳を揺さぶられた側は、足腰が立たなくなって無様に引っ繰り返る。元々脂肪が必要以上に過積載な、ひどくバランスの取りづらい体型なのだ。それはもう見事に床を転がり、むしろわざとやってるのでは、と疑いたくなるように真後ろへと何回転かしてカウンターに激突する。
カウンターの上にあったルーレットと賭けてあった硬貨が舞い落ちて、私は瞬時に何枚かを靴の裏で踏んで、床を滑らせるように足元へと引き寄せた。もちろん負け分を誤魔化そうとか、そういうつもりはない。では他に理由があるのかと問われると、口笛でも吹きたい気持ちにはなるけども。

「おいおい、いい加減にしてくれ! ウルフリード、てめえが来るとなんで店が壊れるんだ!? なあ、俺が何か悪いことしたか!?」
カジノ王を名乗る老人が白い髪を掻きむしりながら、もううんざりだと云わんばかりに非難の声を放つ。悪いことをしたかどうかは知らないけど、なんでもかんでも私のせいにするのはやめて欲しい。
「せっかく看守に金握らせて娑婆に戻れたのに、なんでまた面倒事に巻き込まれるんだ! 俺は適度に客から舞き上げて、バレない程度にイカサマもやって、高利貸しを紹介して骨の髄までしゃぶり尽くさせて、気分よく高級レストランで七面鳥なんかを平らげる。そういう平和な暮らしがしたいだけだってのに!」
前言撤回、こいつも立派な悪党だ。高級レストランの七面鳥よりも、ブタ箱の臭い飯の方がずっと似合ってる。

「この薄汚い貧乏人の豚野郎が! 人間様と同じ空気を吸ってんじゃねえ! この豚! 豚ぁ! 豚ぁっ!」
バレンディーが先端が無駄に尖って反り立った靴で、何度も目の前のラードの塊のような男を踏みにじっている。どうやら金では品性は買えないらしい、今後の暮らしに一切役に立たなさそうだけど覚えておこう。
「うるせえ! 金持ちだからって調子に乗るんじゃねえよ! 俺が豚ならてめえは山羊だ! 大負けした時に離婚届にサインしてやるから、ジャムでも塗って食べやがれ!」
ガルム・カラッドが蹴られながらも言い返している。どれだけ金を失っても、人間の舌は回るらしい。これも覚えておこう、もちろん今後の生活に役に立つことはない。むしろ役に立つような状況に陥る方がまずい。
「てめえらもこれ以上店を壊すんじゃねえ!」
醜い喧嘩にカジノ王が飛び込んでいく。年齢の割に体力があるようで、バレンディーの角を掴んで振り回したり、ガルム・カラッドの足を掴んで引き回したりと、年寄りの冷や水どころか熱々のスープみたいな勢いで暴れ回っている。

「ねえ、ウルさん。どうする?」
「このまま帰るわけにもいかないから……あの金ダライだけでも回収したいかなあ」
ようやく煙が収まって呆れた顔で状況を見守っているエリオに答えて、暴れる3人の背後にこっそりと近づき、手早く首元に合成薬のアンプルを打ち込む。


【ビスクラレッド】
精神を緩和させて相手の闘争心を鎮める合成薬のアンプル。白色の機械式ホルダーに6本収納出来、使い切った順に自然と合成・補充される。
元々は母がゾアントロピーなる獣人化薬への対抗策として隠し持っていたもので、もう用済みだからと譲り受けた。身体強化を打ち消す以外にも鎮静剤に似た効果があり、精神の高揚や興奮、熱狂状態を急激に覚ますことも出来る。
ゾアントロピーを服用していない者に使うと、効果が強すぎる為、少なくとも1時間は目を覚まさない。


ぐんにゃりと体を曲げて床に転がった3人を見下ろしながら、起こさないように静かに息を吐き出し、台車の上に取り残されたメランコリアに手を添える。
ブランシェット家の機械は、当然だけど私や母のような機械使いと相性が良い。ほんの少し力を注ぐだけで所有権を書き換えることも出来るし、携帯しやすいように小さく収納することも出来る。
手乗り亀くらいの大きさにまで格納されたメランコリアをポケットに放り込み、
「エリオ、警察隊への連絡よろしくね」
「それはいいけど、ウルさんは?」

答えるまでも無い。こんな馬鹿馬鹿しい日は、とっとと日当を頂いて帰って寝るに限る。下宿に戻れば全てを癒してくれる最高のもふもふが待っているのだ。シャロのお腹には金では決して買えない栄養素があるのだ。



◆❖◇❖◆



「ふわぁー、しあわせ過ぎる……」

数日後、下宿の契約更新を終えて、真っ昼間から堂々とシャロのお腹に顔を埋めていると、表通りを騒々しく広報車が通り過ぎていく。
「ウァンウァン!」
「シャロ、吠えちゃ駄目。もうちょっと枕になってて」
「ウゥー」
シャロに抱き着きながら床に寝そべるだけの生き物になっていると、広報車から新市街閉鎖のおしらせが流れてきた。もふもふに夢中になってたので、そこまで詳しくは聞いてなかったけど、どうやら住んでいる富豪たちの態度の悪さが原因でまともな消火作業が行われず、消火隊はいつまで経っても現れず、一通り火事場泥棒が立ち去った後には焦土しか残らなかったらしい。


この世には金では買えないものがある。もふもふと、本当の意味での安全だ。




今回の回収物

・メランコリア
未回収のブランシェット家の狩狼道具。頭上から大量の発火弾を降らせる追尾型ドローン。灰色。
メランコリアは(通り雨→)憂鬱の意味。
分類:サブウェポン
威力:30
射程:半径400メートル
弾数:10
追加:自動追尾、燃焼


今回登場した道具

・ビスクラレッド
精神を緩和させて相手の闘争心を鎮める合成薬のアンプル。白色。
ビスクラレッドは人間の姿を取り戻す狼男の騎士の物語。
分類:デバッファー
効果:鎮静
射程:密着
弾数:6
追加:強化全般に対する打ち消し

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