三界廻って碗~第8話 いろはにほへとちりへっぽ~

神は意外と俗っぽい、というのは今更いうまでもないけど、中にはまだそんなことで悩んでるのかと呆れる奴もいる。
何十年かに1度ここいら一帯の神が集まって酒を酌み交わす神合わせなる集まりがあり、山奥の神社でこっそりやっているのだけど、その都度、
「うあぁぁ、なんで俺は万年下っ端の神やってるんだぁ」
「あぁ……なぜに我は人心が集まらぬのだ……」
「神話がない! 神話がない!」
なんて隅っこで嘆いているのが何人かいる。神なんだからそんな人間みたいなことで悩まなくてもと思わなくもないけど、中には
「なあ、蛇殿。姉がえげつないくらい有名で、弟も英雄の代表くらい名が轟いてるんだけど、私はどうして地味なんだろう?」
などという天上の貴神の悩みもあったりするので、日々食って寝て時々犬と戯れるくらいしかしてない私に、そんな難しいこと聞かないでほしい。
なので結局、私は他の能天気な土着神と一緒に猪肉を食べながら、あいつらまたやってるねーって呑気に酒を飲んでるわけで。

「なあ、蛇の娘御よ。どうして俺はつがいが出来ないのだろう?」
「いや、知らんけど」
べろんべろんに酔っぱらって、尺取虫みたいな動きをしながら地べたに這いつくばっている男に一応の返事をして、しかしどうせ聞いてないだろうなとしか思えないような泥酔ぶりを眺めてみる。この酔っ払い、確か名前はどこそこの何彦とかなんとか男みたいな名前だったと思うけど、見てくれはそれなりに年老いた白髪白髭混じりの男で、体は熊や猪のように太く大きく、神よりも木こりや畑をしている方がずっと似合う姿をしている。おまけに神にあるまじきとてつもない下戸で、実は一滴も酒を口にしてないのに匂いだけで泥のように酔っているのだ。
「あぁー! 俺も結婚したいなあ!」
酔いどれの尺取男が地面に転がったままの形で、獣の遠吠えのような大声で叫ぶ。これはもしかして求婚をされているのだろうか? いや、仮にされていたとしても私は誰かと夫婦になるつもりはないし、そもそもそういう情緒が芽生える前に生贄となって神に選ばれたので、その手の願望が一切湧いたことがない。どうせなら犬と暮らした方がずっといい。事実、犬という生き物はモフモフと柔らかく温かく、更にはかわいらしく、暮らしの友としてこれほど相応しいものはないと思う。
「しかし相手がいないのだ! どういうわけだ、俺は神なのに!」
むしろ神だからいないのではないか、という考えが頭を過ぎったものの、特に根拠もないから黙っておこう。触らぬ神に祟りなし、酔っぱらった神なんて関わって得することなど無いのだ。

「ねえ、蛇のお嬢ちゃん。どうして私はつがいが出来ないんだと思う?」
「さあ、わかんない」
左右にぐねんぐねんと茅のように揺れながら、あとは壁にもたれているだけの女に一応の返事をして、しかしどうせ聞いてないだろうなとしか思えないような潰れ具合を眺めてみる。この酔っ払い、確か名前はなんたらの姫とかなんぞ女みたいな名前だったと思うけど、見てくれはそれなりに年老いた皺と白髪の目立つ女で、体は柳の木のように細長く腰は曲がり気味で、神よりも宵のうちに現われる怪異の方がずっと似合う姿をしている。おまけに神にあるまじきとてつもない下戸で、実は一滴も酒を口にしてないのに匂いだけで泥のように酔っているのだ。
「だれか私と結婚くれないかねえ!」
酔いどれの枯草女は壁にもたれかかったままの姿で、通り雨のようにやかましく叫ぶ。これはもしかして球根をしているのだろうか? とはいえ、この場に集まった神の中で、比較的人間のような姿をしている中で独り身の男は、それこそ地べたの尺取しかいない。人と遠い姿でもいいんだったら猿とか猪とか鹿とかいるけど、性別がどちらか定かでないのも多い。
「だけど相手がいないのよ! どういうこと、私は神なのに!」
触らぬ神に祟りなしとはいうものの、ちょうど足下に生贄とか人身御供となりそうな尺取がいるので、試しに両手をかざして勧めてみる。

「私はねえ、純真無垢な稚児がいいの! 嫌よ、そんな汚い爺さん!」
「俺だって、汚れを知らない稚児がいい! 誰がこんな婆さんと結ばれるものか!」
なるほど? どうやら尺取も枯草もいわゆる稚児好きなようで、そういう好みの都合もあって相手がいないらしい。そういえば八百万の神々の中には稚児の神は滅多にいない、蛭子神のような例もあるけど、あれは幼子というより胎児に近いものだと聞いた。誰からだっけ? そうそう、そこの半泣きで月を眺めている天上の貴神様から。
「私もわかってるの! 幼子に触るべからず、あれは汚れた大人がどうこうしちゃいけない生き物だっていうのは!」
「その通りだ! 幼子に触るべからず、あんな尊きものに手を出す輩など万死に値する!」
枯草と尺取は主義が一致したからか、お互い涙を流しながら両手を握り合って変態を処せ地獄に落とせと喚き、しばらくした後に顔から地面に突っ伏して眠りについた。そのまま数万年ほど寝てて欲しい、万年寝太郎とかそういう存在になって欲しい。


◆❖◇❖◆


「せめて神生で一度でいいから祝言を挙げてみたい」

神合わせから数日、尺取と枯草、どちらから言い出したか知らないけど、そんな要求を掲げ始めた。人間は神に祈ったり願ったりするけど、神は誰に願うのかと思いきや、私を祀る小さな祠に向かってわあわあ騒いでいるのではないか。私としては、ああいうめんどくさそうな神にはなるべく関わらず、出来れば日々のんびりと犬でも撫でながら過ごしていたいのだけど……来てしまったものは仕方ない、適当にやり過ごして帰ってもらおう。
「あのー、おふた方。いっそふたりで挙げてしまえばいいのでは?」
「違う、俺は幼き女子と式を挙げたいのだ。待て、白い目を向けるな、稚児と結ばれようなどとは思っておらぬ。そんな輩は神の風上にも置けぬ」
「違う、私は無垢な男と式を挙げたいわけ。待て、白い目を向けるな、稚児とまぐわおうなどとは思っていない。そんな女は神の風上にも置けぬ」
時たま枕元に山のような食糧が置いてないかなーとか、起きたら朝廷の役人になってないかなーとか、息をするだけで一生ちやほやしてもらえる仕事がないかなーなどと無茶な要求をしてくる人間がいるけど、神も神で負けてはいない。
とはいえ、人間では馬鹿いってないで働け、で済むようなこともどうにか出来てしまうのが神という存在。近場の道祖神や土着の神、立派な神社に祀られるような名のある神に相談して回ったところ、ならば幼子を依り代にしてしまえばいいのでは、と誰からともなく言い出した。

人の子も七つまでは神の子だ。三つとか五つという説もあるし、中にはふたつまでという者もいるけど、とにかく幼い子供は神の世界と交わりやすい。ちょっとしたことであの世へ連れていかれたり、特別な才がなとてもこの世ならざるものの姿が見えたりするのだ。
神の加護を授かりやすい一方で、邪な怪異の悪意も受けやすいから神事に選ばれることは少ないものの、考えてみれば依り代として相応しい年頃であるのは間違いない。
ちなみに私は元々人間だったからか、依り代は必要とせず顕現できる。しいていうなら私という存在そのものが依り代のようなものなのだけど、その辺の理屈はよくわからない。神がなんでも知ってると思うな。

「それだぁー!」
「それよぉー!」

尺取と枯草は今まで考えもしなかったのか目玉が飛び出るほど驚き、鼻息を荒くして人里へと降りていった。
その後の話は知らないけど、神伝手に聞いた話だと別々の里に向かった尺取と枯草は、それぞれ五つ六つほどの稚児を依り代にこの世へと顕現し、幼い子供たちに混じって暮らしている内に神童だの神の子だのと呼ばれるようになり、この素晴らしき子の血統を残そうと考えた里の長によって引き合わされ、互いがそうだと知らぬ間に祝言を挙げたとかどうとか。
後に大人となり、子宝にも恵まれ、六十ほどで天寿を全うして人として逝ったとも、亡骸から抜けて神に戻ったとも、自らの子孫を次の依り代にしたともいわれているけど、直に確かめたわけでもないから知らない。まあ、あまり興味もないし、触らぬ神に祟りなしだからわざわざ関わり合いになりたいとも思えない。
とにかく稚児を依り代に人の世に降りるという珍しい話は、他の神の耳にも伝わり、長い時を経て遠い場所で神降ろしや神呼びの神事となったのである。


◆❖◇❖◆


「ああ、満足した……!」
「まったく幸せ者だよ……!」

かなりの時を経て、たまたま立ち寄った神社で神事が行われていたので見物していたところ、神の子として結婚式を挙げていた幼い男女からふわりと煙のように宿っていた神が抜けた。その姿はなんていうか、例えるならば温泉に1週間ほど入り浸り、おまけにマッサージや豪勢な海の幸なんかも堪能して、顔はホクホクとした笑顔でツヤッツヤ、肌はもっちりと生気に満ち満ちて顔全体がとろけている、そんな感じだ。
よくよく見てみると、その顔には見覚えがあるような無いような……それが別人のように輝いている尺取と枯草だと気付くのに時間がかかったけど、手元の海鮮塩焼きそばを食べ終わるまでには思い出すことが出来た。まったく私の記録力も大したものだ。

「おお、いつぞやの蛇の娘御ではないか。これは年長者からの助言だが、結婚はいいものだぞ」
「いつまでも独り身とか勿体ない。あんたも適当な神でも降ろしてもらって結婚しちまいなよ」
元尺取と元枯草、現むっちりもっちりのふたりの神は一昔前の親の小言みたいな言葉を残して神の世界へと帰っていき、それはそれとして神事はつつがなく無事に終わったのだった。



(つづく!)


あとがき的なもの

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