三界廻って碗~第2話 賽の河原独立宣言~

まだ人間だった頃、今でこそ振り返ったら取るに足らないような小さな失敗をして、怒られるのがすごく嫌いで、その度に集落の近くの林の中に身を隠したりした。でも結局は父や母に見つかって怒られたりしたわけだけど、それがまた言葉で言い表せないくらい嫌で、私は同じように隠れてやり過ごそうと繰り返した。そんなだったから神への生贄に選ばれたりしたのかなと思うけど、その悪い癖は未だに治っていなくて……
「……て? あし? いぬ? わからん!」
私を祭る祠に届いた【督促状】と書かれた矢文を眺めながら、読めないながらも内容に心当たりはあるので眉をひそめて、はぁーっとめんどくささを含めた溜息を吐き出す。
差出人には【地獄・閻魔堂】と書かれているけど、もちろんなんて書いているかは読めない。私を誰だと思ってるんだ、元田舎集落の下っ端の家の小娘だぞ。出自のいい神と同じように扱われたら困る、私にも読めるように全てにふりがなを振れ、平仮名も読めないけど。

以前、地獄からの使いに閻魔堂まで出頭するように言われて、かれこれ……まあ結構な歳月。めんどくさいとか怒られそうという理由で後回しにし続けて、ついに矢文まで送られてしまった。地獄の使いとして来た鬼が言うには、まず世界には神や仏だけが暮らす天上の世界、私のような土着の神や人間たちの暮らすこの世、死者の魂が辿り着く地獄とか天国のあるあの世があって、人間や動物の数はちょっとくらい書類と実際の数とで誤差があっても構わないのだけど、神の数に関しては相当厳しく管理しているらしい。なので新しく神が生まれたり代替わりが起きた時は、すぐに登録しないといけないのだとか。
「……しょうがない、行くかー」
結局なんだかんだと祠の周りをうろうろしたり、小屋の中をごろごろと転がって時間を潰すこと数ヶ月、いよいよ観念して一張羅の旅装束に着替えて外套を羽織り、やっぱりめんどくさいと脱いだり着たりを繰り返しながら死出の旅路を歩き始めた。


▶ ▶ ▶ ▶ ▶ ▶


ところで地獄というのは、意外と遠いようで近くにある。
古代より死者の国があると知られているのは熊野だけど、別に地獄の釜を通らずとも地獄へ行く道などいくらでもある。なにせ死んだら誰しも1度は地獄の閻魔堂に向かわないといけないので、すぐに行けない場所にしかなかったらこの世の死者もあの世の使者も困ってしまう。それこそ地理に疎い、集落から出たことがない子どもなんか辿り着けるわけがない。
というわけで地獄には各地に屋代があり、だいたい村にひとつとか集落の三つにひとつくらいはあったりする。ただ普通に過ごしている分には見えないので、地獄に行くにはちょっとしたコツがいる。死んで幽霊だの悪霊だのになることで、あの世とこの世の狭間の存在と化す必要があるのだ。神にはそんな手間はいらないんだけど、神だから。
そんなわけで近くにある、朝方から歩いて向かえば夕方には着く場所にある地獄の支社まで出向き、受付の鬼に呆れた顔をされながら書類を書いたり判子を押したり、本人確認を済ませたりして、後ろに並ぶ死にたてのじいさんばあさんや幼子に呆れられながら、ようやく地獄の入り口へと落ちた。


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ひとつ積んでは父のため……
ふたつ積んでは母のため……

この世とあの世の境目には三途の川が流れていて、その河原は賽の河原と呼ばれている。もちろんこんな場所にあるのだから、川遊びをするような楽しいところではなく、見渡す限り灰色の大小さまざまな石がゴロゴロと転がっているだけの、不気味というか辛気臭いというか、生きる気力も無くなるような空気が漂っている。一言で表すならば世も末、そんな言葉がよく似合う。
そこでは親より早く死んでしまった幼子たちは、親不幸の報いを受けるべく河原で石を積み、ふらりとやってきた鬼に金棒で崩されたり、蹴り壊されたりして、また泣きながら石を積み続ける。一言でいうならば可哀想、そんな光景なのだ。
大人は河原を素通りして桟橋で奪衣婆という老婆に衣服を剥ぎ取られた後、罪の重さで一旦浅瀬と難所に分かれて川を渡り、向こう岸にある地獄の十王の裁きを受けて、そこでようやくあの世へと連れて行かれることになる。一言で、まあ大人は大人なので各自で勝手に例えてくれ。

さて、私は神への供物として生贄になり、土地神である大蛇に食われた時に1回人としては死んでいるそうなので、子どもに混じって石を積みなさいということらしい。めんどくさいと抗議してみたものの、どうやら神となった身でもその辺りは特別待遇ではなく、ここはどこまでも淡々と事務的に動いているのだ。
鬼は定刻通りにやってきて、きっちり決まった高さに達した石を崩し、定時になったら仕事を終えて帰る。子どもたちは鬼の居ぬ間にズルが出来ないよう、世が明けるまでは川べりの小屋に押し込まれて、そこで然して美味しくもない泥のような粥をすすって眠る。
神である身としては、規則といえどこんな酷い食事は我慢ならない。怒りに腹を立てながら夜の内に小屋から抜け出し、鬼たちの宿舎であれこれと物色し夜明け前には河原に戻って、とある仕掛けを施した。


「いいですかー、みなさーん。今日も定時まで石を積んでください、我々も定時まで崩しますので。まあ、あまり無理せず今日も一日安全に気を付けて、怪我の無いように頑張りましょ……って、ちょっとそこの君、なにやってんのぉ!?」

定刻通りにやってきた鬼たちは、いつものように朝の挨拶を済ませて仕事に取り掛かろうとした。しかし今日はいつもの賽の河原とはちょっと違うのだ。鬼たちは雑な土人形のような顔に刻まれたギザギザの口と、その上に並ぶ三つ目や六つ目を動かして驚きの表情を浮かべ、ずんぐりとした体を前後左右に揺らしながら河原の変貌を確かめている。
そう、賽の河原はもはや賽の河原ではない。いつまでも完成しない石積みに代わり、私が夜の内に子どもたちを叩き起こして作り上げた石窯、そこからもうもうと煙が立ち上っているのだ。

作業は案外早く済んだ。ここの子どもたちは石積みに関しては熟練の職人といえる経験と勘を持っている。大小さまざまな石を組み合わせながら積み上げ、川底ですくった泥を固めてコの字型の囲いを作り、みんなで運んだ一枚岩を被せて蓋をする。あとは集めた薪を燃やして灰にして、鬼の宿舎から盗み出した芋を放り込んで火をつけたら、あら不思議、立派な焼き芋製造機の出来上がりだ。いや、特に不思議なことはない。神なんだからそれくらい知ってる。焼き芋に必要なのは熱を閉じ込める置き灰と、風で飛ばされないようにする石窯だ。

「なにって焼き芋だけど?」
「おねーちゃん、まだー?」
「おなかすいたー」

石窯から漂ってくる甘い香りの前に、昨日まで泣きながら石を積んでいた子どもたちも、本来の子どもらしい食べることと食べることしか考えていない生き物と化している。そう、焼き芋はなんとも恐ろしいものなのだ。芋を焼いただけなのに、あんなに甘くほっくりとするのだから、初めに芋を焼こうと考えた人間は神に格上げしてもいいと思う。

「ほら、お前らも食べてみ。おいしいよー」

こうして私は生の芋しか齧ったことのない鬼たちを手懐け、見られてないところでの仕事の手の抜き方を教えて、いつしか賽の河原の王として君臨した。
なんということだろう、ゴツゴツとした石が転がっていただけの河原には立派な石窯と東屋が建てられ、殺風景な桟橋は釣り場として川岸の半分ほどまで拡張され、三途の川を渡すだけの船は大漁旗を掲げた漁船へと姿を変えた。さらには魚を調理する厨房と囲炉裏を備えた食堂、四方を網で囲った養殖場、魚の骨や石を加工した釣具屋まで、賽の河原はもはや河原ではなく川岸に作られた漁師町へと様変わりしたのだ。

まさに匠の技、あんなに無気力に死んだ魚のような目で仕事をこなしていた鬼たちも、今ではこんなに生き生きと河原に寝そべって昼寝をしたり、魚を釣ったり、子どもたちと川遊びをしたりして楽しく過ごしている。衣服を剥ぎ取っていた奪衣婆も旦那さんと一緒に古着売りとなり、いつしか尖った魚の絵の描かれた服を独自に制作した。ダツと奪をかけたらしい、エババとかけるよりはずっといいと思う。エババってなんだろう、奇声かな。
もしかしたら私は天国を作ってしまったのかもしれない。さすがの私と言いたいところだけど、自分の才能がちょっと怖い。


「あのー、あなたね、長年呼び出しを無視しておいて、なにをしてるんですか?」


そんな私たちのところに、三途の川の向こうからわざわざ出向いてきたのが十王のひとりにして、私を呼び出した張本人の閻魔その人。見た目は耳の上で刈り揃えられた髪に痩せこけた頬の、風が吹いたら飛んでいきそうな男で、襟付きの白い服を着て両の腕には黒い筒のような布を嵌めていて、首には三角板のような妙な形の布を巻きつけている。なんていうか、いかにも中間であれやこれやと管理をしてそうな見た目で、王という割には威厳が足りないように思う。
「こんなところで遊んでないで、早く神の登録手続きを済ませてください」
閻魔はその辺から運んできた机と椅子を私の前に置き、ああもう忙しいのに、と頻りに呟きながら傍らの鬼たちが抱えている紙の束に次から次へと判を押している。
「等活、黒縄、叫喚、尼剌部陀、頞部陀、叫喚、頞哳吒、等活、阿鼻、焦熱、黒縄、衆合、焦熱、等活、頞部陀、叫喚、阿鼻、尼剌部陀、無間、衆合、臛臛婆、虎虎婆、黒縄、頞部陀、嗢鉢羅、黒縄、焦熱、阿鼻、叫喚、鉢特摩、頞哳吒、黒縄、無間、焦熱、尼剌部陀、嗢鉢羅、等活、衆合、阿鼻、無間……はぁ、嫌になる忙しさですね、まったくもう」
「閻魔様は今日もお忙しい。いい加減にして」
「書類山ほど溜まってる、猫の手も借りたい」
鬼たちは丸石のような瞳を縦に潰した饅頭みたいに歪めて、私に抗議の目を向けている。近頃はこの世で飢饉や戦乱が多発しているせいで十王の役所はいつも行列が絶えず、おまけにこの辺一帯が三途の川として機能しなくなったせいで、他の桟橋から出る船には山盛りに人が積まれているのだとか。
「はい、そういうわけでね、早く帰って欲しいんですよ、私は。他の十王からも、あの神の登録はまだか、こんなのは前代未聞だ、って私のせいでもないのに……いったい誰のせいなんでしょうねえ?」
「閻魔様、中間管理職」
「閻魔堂、真ん中くらい」
どうやら閻魔堂は十王の中でも真ん中くらいで、印象通りに中間に挟まれて色々と管理させられているらしい。人間も神も大変だ、この世でも生きるために必死で、あの世でも仕事にさいなまれる。これはきっと神が人間に近い姿をしている弊害に違いない。もしもこの閻魔や鬼たちが全員猫の姿なんかしていたら、今頃あっちでごろごろ、こっちでにゃーにゃー鳴くだけで日々が終わり、まさに天国のような形になっていたはずだ。
「猫だったらいいのににゃー」
「なに言ってるかわかりませんにゃー。はい、これあなたの書類ね。ここに名前と居住と、登録日はこちらで書いておきましたので」
閻魔は紙束の中から数枚の書類を抜き出して私に突きつけ、ああもう休みが欲しい、なんて愚痴りながら手を一切休めることなく判を押し続けてている。なるほど、これはもう新手の病気だ。時間さえあれば仕事をしてしまう現代病を患っているのだ。

「ほら、あなたたちも。仕事をしないと給料が払われませんよ」

そんな現代病、働けども働けどもを患っている者は、当然他人の仕事に対しても厳しいので、河原で寝転がっている鬼たちに厳しい視線と言葉を投げかける。気持ちはわからなくはないけど、鬼だって休みたい時は休めるようにするべきだと思う。そもそも仕事ってなんだ? 一体こいつらはなんのために働いているのやら。
けれど、この河原の鬼たちは私の作った天国で鍛えられた鬼たちなので、
「やだー! 仕事したくない!」
「もう生の芋では働かない! 芋煮を持ってこい!」
寝そべった姿勢のまま抗議の声を荒げ、仕事を放棄。それでも働かせようとする役所に対抗するために河原鬼組合を結成、『働きません食うまでは』を主張に掲げて大規模な労働争議を起こしたのだ。

そうなってしまうと呑気に芋なんて焼いてる場合じゃないので、私はとっととこの世に戻って正式に神として土着してたわけだけど、一方その頃、鬼たちは漁船に乗り込んで川岸に進攻し、河原で集めたありったけの石を役所に向かって投げ込み、怪我した鬼を拉致して焼き芋を食わせて懐柔し、地獄行きを拒む人間たちまで取り込んでいった。
そんな物騒な川で血を洗う小競り合いを繰り広げること幾年月、気がつけば地獄の一大勢力と化した賽の河原は、ついには独立国家【焼き芋王国】を樹立したのだった。


そして現在、頭を悩ませた十王が川幅を拡張して増水させたため、賽の河原は川底に沈んだままになっている。


△ △ △ △ △ △


「まったく、あなたのせいで大変だったんですよ」
「小さい頃におとーさんやおかーさんから、人のせいにするんじゃありませんって教わらなかった?」

私の横では体型が少々、いやものすごく太ましくなった閻魔大王が、ぶふぅんぶふぅんと鼻息を鳴らしながら焼き芋を食べている。
あの世はどこまでも事務的な場所なのでひとつ変化が起きれば他も影響を避けられず、賽の河原が沈んだことで地獄全体の刑罰の見直しを図らないといけなくなった。その結果、もういっそのことすべて機械化して物理的に反乱が起きないようにしようということになり、子どもも大人も片っ端から浄化装置に放り込んで罪を洗い流す方針となった。元々、亡者を痛めつける鬼の経費や地獄の管理費がそもそも無駄なんじゃないかという意見や、死んでまで痛めつけるのは人道にもとるのではという人権派からの抗議もあったそうで、ついでに天国も基本誰も行かないことから維持費の無駄だと廃止。地獄が無くなれば裁判も不必要だと十王も廃止、あの世は限りなく縮小して、今では無機質な浄化装置が池の上にプカプカと浮いているだけの、風情もへったくれもないところと化した。
仕事を失った閻魔大王は日がな一日窓際の席に座り、菓子を食べながら定時まで尻で椅子を磨くだけの閑職に追いやられて、見る見るうちに太ってしまったのだとか。
「あなたも土地神としての仕事をしてくださいよ、芋なんて焼いてないで」
それにしても二言目にはおなかすいたでぶー、などと言い出しそうなこの姿、適度な労働は健康に必要なのかもしれない。

それでも私は絶対に仕事なんかしたくないけど。


(つづく!)

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