三界廻って碗~第6話 つちのこのこのこ元気の子~

神の身である私にも苦手なものは存在する。
冷めてカチカチになったお供え物のおにぎりやお饅頭ではない。いや、あれはあれで辛いものがある。せっかくなら食べ物はふわっふわな美味しい姿のものを食べたいものだ。でも今は冷めたお供え物の話はしていない、見世物小屋の蛇女のことを言ってるのだ。
見世物小屋そのものは別に苦手ではない。どちらかというと好奇心旺盛な神である私は、土地の民に混じって見世物小屋の出し物に一喜一憂した。お化け屋敷でぎゃーぎゃー喚いてみたり、機械仕掛けのからくりを眺めたり、海外からやってきたというふれこみの珍しい鳥や獣を意外とかわいいなって思ったり、私の倍ほどもありそうな巨人や私の半分ほどの背丈の小人、腕のない缶児の器用な芸達者ぶりに感心したものだ。もちろん見世物小屋なので、大鼬と称して戸板に血を垂らしたものなんかを出してきたりもするので、その時は酔っ払いに混じってありったけの罵声を浴びせたりもした。
そういうわけで見世物小屋そのものには割と好意的なんだけど、蛇女だけはちょっと苦手なのだ。

蛇女とはその名の通り、生きたままの蛇を食べる女のことで、蛇の皮を剥いだり生き血を啜ったり、その身を齧ったりする。こういうと大したことなさそうに聞えるけど、私を飲み込んで神にした先代が大食らいの大蛇だった影響か、蛇が食べられてる姿だけはなぜか苦手で、見てると背中がぞわぞわとしてしまうのだ。
ちなみに蛇小僧という全身が魚のような鱗に覆われた見世物もあるけど、そっちは別になんとも思わない。しいて言えば服着る時に大変そうだなーくらいで。


◎ ◎


「おい、あんた。そこのあんた」
「……なに?」

ある日のこと、私がいつものように蕎麦でも食べようかとプラプラ歩いていると、見世物小屋の蛇女が声を掛けてきた。蛇女は年の頃でいえば若くて30手前、年嵩に見ても40には届かないくらいで、1000年以上を生きる私からしたら小娘の部類だ。見た目は私が小娘にしか見えないのだけど、それは生贄に捧げられた年齢が年齢だったので仕方ない。50を過ぎた腰痛い膝痛い動くだけでつらい老体で神になってたら、もう長生きって考えただけで嫌になる。見た目ご老人な他の神は、その辺どうなってるんだろうか。神同士が道端でばったり会うことはそうそう起こらないけど、もしご老人の神に遭遇した時のために針でも持っておこうかな。
いや、今はそんなことより目の前の蛇女だ。蛇女はツカツカツカと私に近づいてきて、一瞬じゅるりと涎を啜るような音を立てて、
「あたしは蛇女をやってんだけどね」
と改めて自分は蛇女だと告げてきた。蛇女なのは知ってる、数日前に見世物小屋で見たから。
この女の小屋は各地を巡回していて、毎年夏祭りの時期になると10日ほど滞在し、近隣の祭りを賑やかすだけ賑やかして去っていく。例年だとそろそろ他所の土地に向かう支度を始める頃で、今夜辺りが最後の巡業になるはずだ。
「で、私に何か用?」
「まあ、そう身構えなさんなって。悪い話をしようってんじゃないんだよ」
蛇女は悪だくみをするような汚い笑顔をしながら、私の顔や髪にじめっとした目線を向けた。

「ちょいと齧らせてほしいんだよ」

はて、この蛇女はなにを言ってるのだろう? 生の蛇を食べるくらいなので食に対して貪欲なんだろうけど、私は人間の姿をしているとはいえ神だし、そもそも人間は人間社会の中では食べ物に位置付けられていない。かつては飢饉の時に子供を食べるなんて地域もあったけど、それなりに食べ物に溢れているご時勢で人間食べようというのは、ちょっとわんぱくが過ぎると思う。
そういえば人間はまだ食べたことないな、先代の大蛇は生贄になった人間を食べてたけど。
「あたしはねえ、蛇女をやってんだけどね」
「それはさっき聞いた」
「蛇が好きなんだよ」
なるほど? いや、まったくわからない。なにがどうなったら蛇が好きだから人間を齧りたいとなるのだろう?
「蛇を食べたことあるかい? 蛇ってのは意外と旨いんだよ、生き血は健康にいいって昔から言うしねえ」
なるほど、食材として蛇が好きなようだ。それならば納得だ、普段から蛇を食べてるから、私の中に宿る蛇としての神性のようなものを感じ取ったのかもしれない。蛇を食べたら誰でもそんな力が目覚めるかは定かじゃないけど。
「あんたを見た途端に、なんかこう、体の芯から湧いてくるんだよ! 食欲が!」
蛇女はダラダラと涎を垂らしながら私にじりじりとにじり寄り、大口を開けて私の頭に齧りついた。

「こらー! そこの女、なにやってる!」
私の齧りついた途端、蛇女はたまたま通りがかった警察に連れていかれてしまった。
まったくなんだったんだと溜息を吐きたくなるけど、警察というものは優秀だ。


◎ ◎


「いやー、まさか警察に捕まっちまうとはね。さすがのあたしも焦ったよ」
「……まだいたの?」

数日後、見世物小屋はとっくに他所に行ってしまったけれど、例の蛇女は厄介事を放り出すかのようにこの地に残されてしまった。見世物小屋はクビになったので、蛇女ではなく元蛇女と呼ぶべきか。
「それでさあ、あたしは蛇を食べるのが好きで蛇女をやってたんだけどね」
どうやら元蛇女ということでいいらしい。そして蛇女をやっている内に蛇食に目覚めたのではなく、蛇食が先にあっての蛇女という生業だった模様。
私が反射的に両手を体の前に掲げて身構えると、
「大丈夫だって、齧らないから。そんなことよりあたしに協力しておくれよ。あんたには並々ならぬ蛇の気配を感じるからさ」
神を齧ったことは、神によってはそんなことでは済まないのだけど、私は比較的温厚で寛容な神なので許すことにした。特に怪我をしたわけではないし、そもそも神だから齧られたくらいでは怪我もしないのだけど。

「この辺に蛇を祀る神社があるじゃない? そこに白蛇がいるって聞いたんだよ」

この辺りの土地はかつて日照りが続き壊滅状態だった。そこに水神の化身たる白蛇が現れて、七日七夜に及ぶ長雨をもたらし、人々を救ったという言い伝えが遺されている。人々は白蛇への感謝として神社を建立し、以後数百年に渡って祀り続けている。
「白蛇がいるかはわからないけど、有名な話ではあるよね」
「いーや、いるに決まってる! なぜならあたしが食べたいからね!」
まったく罰当たりな人間もいたものだ。仮に今も白蛇が神社にいて、もしそれを食べようものなら土地の民に生き埋めにされても仕方ないと思うけど、人間の食欲と食に対する探究心は倫理や危機を超えた先にある。なんせフグの毒を克服し、ナマコを食らい、豆を腐らせる生き物たちだ。命を惜しんでいては食の探求は始まらない。そもそも他人の話を聞くようにも見えないし、説得は不可能に違いない。
「さあ、神社に行くよ。今夜は蒲焼きだ!」
「……はいはい」
せめて白蛇が捕まらないように、私は元蛇女に同行することにした。

「こらー! そこの女、なにやってる!」
神社に着いた途端、たまたま祭りの後片付けで酔っ払いの世話をしていた警察に出くわし、狛犬ならぬ狛蛇に齧りつこうとした元蛇女は再び捕まってしまった。
石なんだから齧っても石の味しかしないのに、と呆れた様子で元蛇女を見送り、神社の裏の茂みでのんびりと過ごしていた白蛇に、しばらく隠れていなさいと告げておいた。
そのうち白蛇からお礼をして貰えるかもしれない。せいぜい蛙だと思うから、あまり期待はしないけど。


◎ ◎


「まったくこの町の警察はなんなんだろうね。忌々しいやつらだよ」
「警察もそう思ってるだろうね」

さらに数日後、なにをどうにかしたのか、しっかり戻ってきた元蛇女が、ああいまいましいと愚痴をこぼしている。
「それでさあ、あたしは白蛇食べる邪魔をされたわけだけどね。だけど、このままでは収まらないよ!」
「ああ、そう。よくわかんないけど頑張って」
「ちょっと待っておくれよ! あんたの蛇力を見込んで、手伝ってほしいんだよ!」
前科2犯の元蛇女が、私の手に蛇のようにしがみついてくる。傍から見てたら、それこそ警察を呼びたくなるような光景だけど、あいにくここは居酒屋でしかも日も暮れた時間なので、よくある酔っ払いの醜態だと誰も見向きもしない。
「もう七日も蛇を食べてないんだよ! このままだと蛇不足で干上がっちまうよ!」
水不足みたいに言うんじゃないよ、あとみんな蛇をそんな頻繁に食べないから。
「蛇食べたさに警官の竿なめてまで出てきたんだよ! お願いだよ、手伝っておくれよ!」
本当になにをどうにかして戻ってきたらしい。ちなみに前科2犯元蛇女、本人の弁では蛇食い芸で鍛えただけあって、棒の扱いが天下一品なのだという。私が神になって1000年以上、今までで一番いらない豆知識だ。

「……わかったよ。手伝ってあげればいいんでしょ」
このまま腕にしがみつかれて婆になられても迷惑だ、武士の情けで手を貸すことにした。武士ではないし、神だけど。あと武士は制度上、何年か前に滅んだ。
「そうこなくっちゃ! せめて警官の竿より太くてでっかい蛇でも食べないとねえ!」
武士は滅んだけど、こういう図々しい人間はずっと後の世でも滅ばないのだろう。せめてこの前科2犯元蛇女が最後のひとりであって欲しいけど。

「こらー! そこの女、なにやってる!」
ちなみに前科2犯元蛇女、調子に乗って酒を大量に頼んだものの有り金が足りなくなって、私の竿食いを味わわせてやると叫んで主人の下半身に手をかけ、泥酔痴女として警察に連れていかれた。
出来ればこのまま一生、でなくても当分の間は獄の中にいて欲しいけど、どうせ数日で出てくると思う。


◎ ◎


「さあ、蛇探しに出発だよ! ぼさっとしてんじゃないよ!」
「なんか捕まる度に元気になってない?」

結局数日後、またなにをどうにでもしたのか性懲りもなく戻ってきた前科3犯元蛇女は、どこから調達したのか川漁師の使うたも網を掲げて、手頃な山へと向かって歩き始めた。そのまま放っておいて白蛇を探されても気の毒だし、適当な山で適当に大きめの蛇でも与えておけば、この前科3犯元蛇女の溜飲も下がるはずだ。そのまま山に住み着かれて野生化したとして、その時はその時、蛇食い野人とでもいう触れ込みで見世物小屋に売り飛ばしてしまおう。
「さあ、蛇! 出てこい、蛇! 頭からバリバリ食らってやる、蛇!」
力強く鬨の代わりの大声を上げながら、前科3犯元蛇女が藪や茂みをたも網で雑にがさごそと荒らしている。どうやら蛇を食べる腕前は一流だけど、蛇を捕まえることに関しては素人のようで、ああ、もう、そんなにガサガサ派手にやってたら蛇が逃げちゃう。
私はたも網を取り上げて、しーっと口元に指を当てて黙るように示し、そっと茂みの中に手を差し込む。蛇取りは上手く蛇を誘き出すコツがあって、茂みや藪の中に手を差し込んでじっと食いつくのを待つ、この辺りは魚釣りと一緒だ。時折ゆっくりと動かして蛇を刺激し、さあご馳走がここにありますよーと教えてあげる。そうしている内に蛇が噛みついてくるので、そのまま腕を引き上げて、空いている手で蛇の頭を掴む。ちなみに毒蛇や蝮なんかが食いつく場合もあるので、毒の効かない神以外には推奨できない取り方だけど。
「この子は毒持ちだから食べない方がいいね。ほら、あっちへお逃げ」
頭が三角の毒蝮だったので、茂みの向こうへとポーンと放り投げる。投げた後で、前科3犯元蛇女に噛みつかせたら良かった、と一瞬思わないこともなかったけど、神は人間と違って無益な殺生は好まない。一寸の虫にも五分の魂があるのだから、前科3犯元蛇女にも一分くらいは魂があるはずだ。

「あんた、毒蛇に噛まれても平気なのかい?」
「うん。私に毒は効かない」
「天性の蛇女じゃないか! あんた、早く見世物小屋で働きなよ!」
嫌だよ、なんで神が人間の仕事をしなきゃならないのだ。怠惰で常にぐうたらしたいのが性分なのだ、神によるけど。

ところで蛇という生き物は人間以上に様々だ。古くは八岐大蛇なる八つの頭と尾を持った特大の蛇から、小さいながらも7歩歩かない内に死んでしまう猛毒を持つ七歩蛇まで大きさも様々、神や物の怪を除いても全身真っ黒な地味な蛇からギラギラと目が眩むような派手な模様の蛇まで姿形も様々。そんな蛇の中には野鎚という一風変わった蛇がいる。
一般的に想像する蛇とは異なる姿を持ち、頭から尾までは短く、しかし胴は丸々と太い。全体的にずんぐりむっくりとしているのに、驚くべき跳躍力を持ち、跳べば馬に乗った武者の頭を軽々と越える。ずりずりと地を這うのではなく、尺取虫のように体を屈伸させながら進み、時には丸太のように転がったり、尾を加えて輪のように動く。いびきもかくし、チーというかわいらしい鳴き声を発する。日本酒と味噌とスルメが好物という、賭博場のおっさんのようなところもある。
そして最も不可思議な点は、これだけ色々と知れ渡っているのにひとりとして野鎚を捕らえた者がいないという。

実際は今、まさに目の前にいるわけだけど。

「おいおい、こいつは野鎚じゃあないのかい!? あたしも蛇女の端くれだ、野鎚は1度や2度は耳にしたことがあるよ!」
今は端くれどころか末席ですらない前科3犯元蛇女が、好奇に瞳を爛々と輝かせる。おまけに蛇のように舌先を動かして、全身から溢れんばかりの食欲を滲ませている。むしろこっちの方が蛇なのでは、と思わなくもないけど、幸いにも前科3犯元蛇女はれっきとした人間だ。馬より遥かに高く飛び跳ね、獣道を自在に進む野鎚を捕らえることは出来まい。
なんて油断していると、野鎚はチーチーとかわいらしく鳴きながら私の足下に擦り寄り、そのままずんぐりとした体をくねらせて跳び上がり、私の頭の上に乗って烏帽子のように身を起こした。もし今この姿を写真に残したら蛇女神として歴史に名が残るかもしれないけど、そんなことより目の前にいる前科3犯元蛇女だ。
人生最大の好機といわんばかりに鼻息を荒くして、涎をびしゃびしゃと垂らしながら近づき、喋ると同時にこぱぁと塊のような涎を飛ばしてくる。食欲に支配された人間って、もはや妖怪みたいだなあって考えていると、頭の上の野鎚がチーと一際大きな鳴き声を発して飛び跳ねて木の上よりも高く打ち上がったと思ったら、そのまま真っ直ぐ降りてきて前科3犯元蛇女元人間現妖怪をまるっと一呑みしてしまった。野鎚は腹を人間大に膨らませたまま、どったんばったんと地面を跳ね回りながら茂みの奥へと消えていく。
もし呑まれたまま生きていたとしても、あれだけ前後左右に折れ曲がったら無事では済むまい。私は特に仏への信心とかないけど両の掌を合わせて、なんとなく祈っておいた。誰にって、それはまあ神だから私自身に。


「こらー! そこの女、なにやって……あれ? お嬢ちゃん、変な女がこの辺にいなかったかい?」
「……さあ?」
どうやら前科3犯元蛇女元人間現妖怪すでに呑み込まれ済み、たも網を近所の家から盗んでいたようで警察が探しにきたのだけど、時すでに遅し網ごと野鎚の胃の中に収まっている。こんな荒唐無稽な出来事、言ったところで信用してもらえるはずもないので、わざわざ説明もしないけど。
「まあいいや。お嬢ちゃん、君も早くおうちに帰りなさい」
「はーい」
流れ者の神である私は特定の家は持たない。とはいえ帰れと言われたら素直に帰るふりをするくらいの知恵と行儀は持ち合わせている。このまま山にいても仕方ないので、いったん町に戻ってうどんでも食べることにした。だって、なんか疲れてお腹空いた気がするし。


その後、野鎚が消えた茂みから全身蛇のような鱗に覆われた野人が現れたとか、上半身が女で下半身が蛇の物の怪を見たとか、卵から生まれた舌先がふたつに分かれた人間がいたとか、そういう噂を聞かないでもなかったけど、私はとっくにこの地を離れていたからどこまで本当か定かではない。私もこれでも土着の神、こう見えて色々と忙しい身なのだ。なにがって、それこそ鰻の蒲焼きを食べたりとか、泥鰌鍋を食べたりとか。


◎ ◎


現在、見世物小屋は絶滅危惧種くらい見かけなくなり、唯一と思われる蛇女も何年か前から見かけなくなった。
つまり私が恐れるものはこの世に無いともいえるのだけど、反面どこか寂しく思うのも、もしかしたらいつぞやの蛇女との思い出のせいかもしれない……いや、そんなことはない。いい思い出でもないし。

ところでその蛇女を食らった野鎚だけど、人間を食べたことで神性を得たのか元々なにかしらの神だったのか、あれから山火事も空襲も大規模開発もニュータウン計画もメガソーラーも切り抜けて、ひっそりと森で暮らしている。もちろん人間に捕らえられることもなく、現在では幻のツチノコとして神や物の怪とはまた別の形での信仰対象となっているのだ。
「チー」
「ほら、人間に見つかる前に森へお帰り。唐揚あげるから」
私は茂みの向こうへと唐揚げを放り投げて、上下にぴょんぴょんと跳ねる野鎚の後ろ姿を見送ったのだった。


(つづく!)

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