三界廻って碗~第7話 こまごました神とゴマゴマ炊き~

神の身となって優に千数百年、未だお目にかかったことはないけど、米粒には7人の神がいるという。3人と聞いたこともあるし、88人もいるともいうし、一説には100人もいるのだとか。そうなると米粒には3人から100人ほどの神が宿っていることになるけど、八百万の神も実際に800万人いるわけではないので、数の幅はちょっとした物の例えというやつだ。
「だいたい米粒ひとつに100人も神がいたら、この世界、人間より神の方が全然多いことになるじゃないか」
なんて笑いながら今朝も朝ごはんを食べたわけだけど……まさか一眠りして目を覚ましたら、部屋を数十のちちゃい神で埋め尽くされるなんて予想するわけがない。

「……それで、お前らなんなの?」
「あっしらはゴマ粒の神。なあに、ちょいと野暮用があってここに来たんでごぜえやす」

さすが八百万の神々の国、どうやら米粒ではなくゴマ粒の神々なのだそうだ。姿は端的に表すと三度笠を被った豆もやし。縦は私の肘から指先、横幅はぎゅうっと握れそうな細さで、茶色い唐草模様のマントみたいな布切れを羽織っている。実に珍妙な姿をしていて、もしかすると人間の姿のまま神となった私や先代の大食らいの大蛇なんて、神の中ではかなり真っ当で平凡な部類の神なのかもしれない。
「それでゴマ粒の神が、うちに何の用?」
この珍妙な神が小さいとはいえ、我が家はそう広くないのだ。今時珍しい大家に現金手渡し式、家賃2万円の築数十年1DK、ひとりで過ごすには十分だけど客神招くほどの余裕はないのだ。それも数十人、いくらゴマが細々した食材だからって多すぎるだろ、とツッコミのひとつも入れたくなる。
とはいえ私の神だ、客にお茶くらい出してあげる寛容さと礼儀は持ち合わせている。手頃な鍋に麦茶をドバドバッと注いで丸ちゃぶ台の上に乗せると、餌を食べる猫の群れみたいに一斉に鍋に顔を突っ込んでいく。いや、そんなかわいいものではなく、豆もやしの群れなんだけど。豆もやしも見ようによってはかわいく見えないこともないのかな。

あっという間に空になった鍋の前で、豆もやし共は深々とお辞儀をして、
「ありがとうごぜえやす。と言いてえとこなんですが、あっしら愉快な用事ではねえんでげす」
お茶でお腹が張ったからか豆もやしの細の部分が真ん中あたりで丸く膨らみ、その影響なのか雑なべらんめえ口調がさらに崩れている。
「あっしら釘を刺しに来たんでさあ」
「釘?」
まさか物理的に釘を刺すつもりなのか? 神の身にこの世のものが通じないことを知らないのか、それとも物の例えなのか。めんどくさいから物の例えの方であって欲しい。
「お嬢さん、あんたちょっとゴマを残し過ぎですぜ」
「そうかなあ?」
よかった、物の例えの方だった。いや、まだ油断はできない。物の例えと思わせておいて、いきなり釘を取り出してブスリ、なんて卑怯なこともあるかもしれない。神にはそんなもの効かないんだけど。

「お嬢さん、この間あんぱん食べたけど、その時にポロっと上に乗っかってるゴマ、こいつをふたつみっつばかし落としたんでさあ」
「テリヤキバーガーも食べたけど、その時にもバンズにふりかけられてるゴマを何粒かポロってたぜ」
「先週食べたゴマ団子、この時もゴマをポロポロポロポロ、こっちはもうボロボロなんでやんす」
「あと、うどんの残り汁。これも底の方にゴマが残ってたんでげす」
「ゴマ鮭おにぎり食べた時も、ゴマをこぼしてたでごんす」

いやいや、そんなこと言われてもゴマだぞ。この世に毎回ゴマを残さず、それどころか一粒も溢さずに食べ尽くす生き物なんているのか、って話だ。焼き魚をめちゃくちゃきれいに食べれる者はいるけど、ゴマを一粒もっていうのは、食事としてのハードルが高すぎる。そもそもゴマは風味付け、ジャンルでいうと香辛料とか調味料の類であって主食ではない。肉を残されて怒る店主はいても、皿に残ったソースにキレ散らかす店主はいない。いたとしたら病気だ、今すぐ入院するべきだ。
とはいえ、私も話のわからない頑固な神ではない。ゴマの神々がこうして苦情を申し立ててるのだから、こいつらの気持ちをどうにかしてやるくらいの甲斐性は持ち合わせてる。そんな義理はないけど、このまま放っておいたら枕元でギリギリと歯軋りの大合唱が始まりそうなので、情けは人の為ならずというやつだ。なんか違う気もするけど、人間の作ったことわざに従う必要もない。なんせ神なので。


゜゜゜゜゜゜゜゜

「というわけで、今からゴマ炊きを作ります」

ゴマ炊きであって護摩焚きにあらず。護摩焚きは火を焚いて薪をくべて煩悩を払う儀式だけど、ゴマ炊きはまったく似て非なるものだ。練りごまとすりごま、炒りごまなんかを使い、醤油と味醂と酒で味をつけるちょっとした精進料理だ。もちろん精進する気がなければ鶏肉を入れてもよい。端から精進するつもりがなければ、練りごまも炒りごまも市販のもので構わない。精進なにそれ美味しいの、という料理下手はめんつゆや鍋つゆで代用してもいい。
旨ければなんでもいいのだ、だって人間も救われるなら神でも仏でも猫でもいいって者が多いのだから。

「ゴマ炊き? なんでえ、そいつは?」
「一言でいうとゴマの主役感が強い料理かな。まず大根と鶏肉を適当な大きさに切って……大根がないから鶏肉だけでいいか」
ゴマの神たちの問いに答えながら、鶏肉を適当にざくざくと切っていく。
「鍋にゴマ油をひいて加熱して、鶏肉をよく炒める。ほんとは刻んだ生姜があった方がいいけど、なかったらチューブでもいい」
チューブの生姜を大雑把にぶち込んでみせる。生姜は入れたら入れただけ美味しくなる、と聞いたことがある。私は生姜の香りが好きなので、そこに関しては多いに賛同したい。ちなみに最後に紅生姜を乗せても意外と合う、むしろ紅生姜と合わない料理があるのか問い質したいくらいだけど、今回の主役はゴマであって生姜ではない、控えろ。チューブから思いのほか大量の生姜が落ちた。
「ほどよく炒めたら、水とめんつゆを足してしばらく煮る。ほんとは上に油揚げとか乗せた方がいいけど、ちょうど切らしてるので代わりにベーコンとか乗せておく」
ぐつぐつ煮え立つ鶏肉の上にベーコンを乗せて、待っている間にちゃぶ台に茶碗を運んだり、電子レンジでパックごはんを温めたりしておく。
「ある程度煮詰まったら、どう考えても味が濃いのでいったん肉とベーコンは皿に移す」
もうこのままでも十分おいしいけど、肝心のゴマを使ってないので仕方ない。コンロにフライパンを乗せて、仕上げに取りかかる。
「めんつゆ、練りごま、すりごまを混ぜて加熱して、水溶き片栗粉でとろみをつけて、そこにお肉とベーコンを放り込んで絡ませる」
ゴマの香りをむわっむわに立ち昇らせると、ゴマの神々もこの扱いには満足なのか、恍惚とした表情で湯気を見上げている。豆もやしに表情なんてないから気持ちは想像でしかないけど、多分きっと間違いはないと思う。
「お皿に移したらい炒りごまとカットネギを散らして……完成だ!」
豆もやしたちから、わぁっと歓声が上がる。歓声が上がってるところ申し訳ないけど、味はまあまあというか、限りなく普通の上にちょっと濃さを足したくらいのもので、実のところスーパーのお惣菜の方が美味しかったりする。なんせあっちは料理のプロだ、こっちは神としてはプロだけど料理に関してはズボラに塩コショウを振った程度のものなのだ。

……うん、普通だな。工程と味が釣り合ってないから、しばらくやめておこう。などと考えながらも、まあ千数百年前の食べ物と比べたら遥かに美味しいのでそれなりに満足し、残ったタレをごはんと絡めて勢いよく掻き込んだ。これのいいところはとろみがついてるので、あんかけみたいにゴマを全部絡めとれるところだ。これなら欠片も残らないし、ゴマの神々も満足してくれるだろう。

『ありがてえ、ありがてえ』

豆もやしたちが成仏するかのように、ゆっくりと姿を消していく。実際は消えるわけではなく、この世ではない場所にある神の世界に帰っていっただけなんだろうけど、満足してくれたなら頑張った甲斐もあるというものだ。
こちらこそ久しぶりにまともに料理をしたし、なんていうかありがとう。二度と来るな。

パックごはんを追加で温めて残った肉とたれを乗せて、さらに紅生姜を乗っけて再び口の中へと放り込んでみせた。


゜゜゜゜゜゜゜゜

というのが昨日のこと。
今日はパンにでもしようかなと考えながら玄関を開けると、廊下にハムスターくらいの大きさの黒い球体だとか、色んな姿形をした球状に近いのだとか、茶色く透き通った岩のようなのとか、巨大な食用菊に人型の首から下が生えたのだとか、真っ白い泡状の人型だとか、とにかく色んな種類の奇妙な連中が待ち構えていた。

「我らは胡椒粒の神です」
「こんにちは、七味の神です」
「刺身の上のタンポポの神です」
「カステラの紙に残ったザラメの神です」
「セロファンフィルムについたホイップクリームの神です」

勢いよく玄関を閉めて鍵をかけ、なにも見なかったことにして棚の上に置いてあった菓子袋に手を伸ばしたのだった。


(つづーくー)

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