三界廻って碗~第5話 にゃんにゃーどやどやネコと和解せよ~

この世で最も可愛いものは猫である、もしかしたら犬かもしれない、人によってはハムスターだという人もいるだろう……とにかく人間という生き物は、あの柔らかい毛に包まれた愛くるしい姿に、どうしようもなく魅了されてしまう生き物なのだ。

という一文を先日手に入れた古本で目にした。まったくもって異論はない、土着の神である身の私も、犬や猫をかわいいと思う人間らしさは残っている。というより神は誰しも人間以上に俗っぽいところがあるものなので、信じられないくらい些細なことで喧嘩をしたり、呆れるほどしょうもない理由で神の座を降りたり、どうしようもないくらい怠惰でものぐさだったり、だから当たり前に地べたに寝そべって猫の視線で猫を見つめていたりするものなのだ。
そう、いま私は路地裏で地べたに寝そべって、目の前にいる野良の割にはふっくらした姿の野良猫を見つめている。理由などない、かわいいからだ。遠くから眺めたり、近くで上から見下ろしたり、しゃがんで観察したりして、どの瞬間でもかわいい生き物なのだから、同じ目線で見てしまいたくなるのは仕方ない。通行人からしたら、中学生くらいの小娘が地べたに寝そべってはしたないと思うところだけど、私はかれこれ優に千年以上を生きている神だ。神が人目なんて気にしてどうする、むしろ人間はもっと神の目を気にしろ。お天道様は見ている、という言葉は忘れたのか?
「にゃあー」
これは猫の鳴き声ではない、私が猫に向かって鳴いてみせただけだ。猫は猫語で喋るのだから、こちらも猫語で喋ってあげるのが礼儀というものだ。昨今は日本に来ておいて日本語を喋らない外国人が増えているそうだけど、私はそんな愚かな人間たちとは違う。神なのだから当然猫には猫語で語りかける。ちなみに猫語はまったくわからない。神が全知全能だと思うな、神にだってわからないことはある。

そんな神である私の視界に、ふと奇妙な看板が入り込んだ。
『ネコと和解せよ』
猫と揉めた覚えは無いし、むしろ私は猫に好かれる方だと思うけど、どうやらこの看板によると猫と和解しなければならないらしい。和解せよ、という命令口調はどうかと思うものの、猫と和解することに不満はない。和解してみせよう、おそらくかなり末席の、神の端くれの隅っこのついででおまけの数合わせくらいのものだろうけど、八百万の神を代表して。


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さて、猫に関する地といえば日本全国各地にあれど、やはりここは外すことは出来まい。
というわけで本州北端の地に来ている。この地には結構昔から南部の猫唄と呼ばれるナニャドヤラなる踊りがある。古来から具体的にかいつからか定かではないけど歴史は古く、歌詞はにゃーにゃー言ってるばかりで意味は解らず、おまけに名前もナニャドヤラではなくナニャトヤラとも呼ばれたりして、一体全体にゃんとやらだけど、その辺りもまた猫らしいといえば猫らしい。

なにゃどなされて なにゃどやら
なにゃどやれなされで のお なにゃどやれ
なにゃどやらよ なにゃどなされてさえ なにゃどやらよ
なにゃどなされて なにゃどやらなにゃど

意味はわからないけどかわいい。かわいいというのは大事だ。小難しく堅苦しいより、なんかわからないけどかわいい方が広く受け入れられる昨今の風潮からして、かわいいに越したことはないのだ。もちろん無理矢理かわいいに変えてしまうのは駄目だけど、
「にゃにゃどーやらー、にゃにゃどーやらーよー」
と適当に歌いながら歩いていると、のどかなよくある田舎の村の、よくある道路脇の茂みから、にゃーんと甘えた声で鳴く猫が寄ってきた。私は愛でる類の、おめでたい神なので、おおよしよし憂いやつよのう、なんて言いながら抱き上げた。ナニャドヤラはニャンニャーホラホラでもあるらしく、猫を寄せ付ける呪文でもあったのだ。いや、単にこの子が人懐っこい飼い猫か地域猫なだけで、ナニャドヤラにそんな力は無い可能性もあるけど、猫の前では些細なこと。ゴロゴロと喉を鳴らす猫を撫でながら、さらに
「にゃにゃーほーややー」
なんて口ずさんで歩いていると、のどかなよくある田舎の村の、それこそどこにでもある農道の向こう側から妙な中年男が走ってきた。髪はボサボサの長髪でヒゲも伸ばし放題、恰好は聖人と書かれたTシャツに丈が膝まで達していない短パン、足下はクロックス。顔つきは外国人っぽい風貌だけど日本人に見えなくもなく、なぜか掌には杭でも打ったような大きな傷跡がある。
「くぁー! 猫! 小娘が猫を抱きかかえておる! 猫め!」
いやいや、小娘に見えるかもしれないけど、私は千年を生きる神だぞ。世が世なら不敬罪で磔獄門の刑に処すところだけど、今は猫のおかげで機嫌が良いので寛大な心で許そう。とりあえず今すぐ道路に飛び込んで、トラックにでも撥ねられてくれないだろうか。

「いいか、物の道理を知らぬ娘よ! ここはヘブライの地、迷える子羊たちが救いを求めて、私に祈りを捧げる神聖な場所なのだ! 決して猫を祀る場所ではない!」
ヘブライだか蛇食らいだかライラライラライだか知らないけど、ここは多分そんな土地ではないし、猫は世界のどこであってもかわいいことに変わりはない。当然この地でも猫は愛でる対象だ。
「いや、そもそも私は羊じゃないし」
「くぁー! 物の例えも知らぬとは嘆かわしい! この国は識字率が高いと聞いていたが、くぁー、高いのは識字率だけだな! くぁー、信仰心が足りん!」
どうやら、くぁー、というのは口癖らしい。最初はぎゃーとかわーとかの一種かと思ってたけど、かなりはっきりと意図的に、言葉の端々にくぁーと差し込んでくる。くぁー、なんてめんどくさい。
「くぁー! いいか、小娘。私の名を聞いて驚くがよい、そして自らの愚かさを恥じるがよい。我が名はイエス、ナザレのイエスなり!」
「……あいどんのーう」
日本語は達者だけど名前からして外国人っぽいので、あえて得意でない英語で答えてみせた。
「おぅ、じーさす、ふぁっきんぱがにずむ!」
目の前の自称イエスは、私よりも遥かに下手くそな英語で叫んでいる。なんなんだ、こいつは。私は猫とお散歩がしたいというのに。
猫も私の腕の中で、ふしゃーと威嚇の声を発している。ほら、お猫様がお怒りだぞ。


「いいか、私、ナザレのイ『にゃーん』ゴルゴダの丘で処刑される前夜、弟のイスキリと弟子たちの手を借りて入れ替わ『にゃー!にゃー!』『ちょっと待って、ちゅーるは持ってないから、なんかないかな』故郷を捨てて日本へと流れ着いた。この戸来の地はヘブライを由来にする神聖な地、私は『にゃあー!』のとりなしもあって帰化安住を許され、神の加護を広めるために各地を遊説して『ちょうどブリの干物があった。猫がこんな贅沢なものを……ま、いっかー。帰りに別のもの買っちゃえば』戸来に戻り、106歳にして天へと召された。その後、我は名も無き地霊として『うみゃみゃ!うみゃみゃ!』『私もおなか空いたな。おにぎり食べちゃおーっと』を訪れた画家や宗教家たちの助力もあり、住人たちの間に私の名前が拡がり、晴れて神としてこの地に顕現したので『にゃー』『うにゃー』『みゃあー』ええい、やかましい! 私の話を聞け!」


「いや、聞いてるって。なんか、えーと、要するにどっかから流れ着いたわけだ。はいはい、ご立派ご立派」
「くぁー! なんたる雑な扱い! これだから信仰心の薄い人間共は! 元より半信半疑な受け入れられ方をしてたが、くぁー、猫のついでとはいよいよだな! くぁー、私の扱いもいよいよだ! こんなんだったらゴルゴダで処刑されてた方がよかったわー」
おおよそTシャツに書かれた聖人の文字に似つかわしくない態度で、地べたにそのまま寝転がり、ふぁっきんなんたらだのおおよそ人前で出してはいけない単語を吐き出しながら、そのまま天を仰ぐように大の字になった。小物なのに大の字とはこれいかに、と思わなくもないけど、これ以上言うと泣いてしまいかねないので、私も神としてありがたい言葉でも投げかけておくことにする。
「まあ、あれだ。猫と小汚いおっさんだったら、猫に目が向くのは仕方ないから、そんなに卑下することはないよ」
「我欲を捨てて民のために尽くしたら小汚くもなるわ、くそが! くぁー! ユダの方がまだマシだわ、だってあいつ、銀貨30枚っていう餌に釣られてんだから! なのに、この地を訪れるやつら、どいつもこいつも猫ばっかり! へー、キリストの墓だって、写真撮らなきゃ、はい、パシャー……あと猫! 猫なんてどこにでもいるだろうが! 私の墓はここだけだぞ!」
言葉の端々から我欲のにおいが漂うというか、ラーメン屋の床にまとわりついた油くらい我欲でびっしりだけど、めんどくさいのでそこには触れないでおく。
「口コミは偽物だとか噓八百とか書かれるし! 挙句の果てには、アホくさ、地元の小学生が作ったんですかぁ? なんて書かれる始末! くぁー! もうやってられないわー! くぁー、猫みたいにちやほやされてえわー!」
集まってきた猫たちは、みんなふしゃーふしゃーと威嚇を繰り返している。猫も大変だ、こんな逆恨みみたいなやっかみされるんだから。

「だいたい貴様、見たところスマホもカメラも持ってないじゃないか! 写真も撮らずに猫を撫でる! くぁー! こいつはとんでもない宗教戦争の勃発だな!」
確かに私は神だからスマホもカメラも持ってないけど、いや、神によっては持ってるのかな。
「ほら、私のスマホを貸してやるから撮るがいい。神と写真を撮る機会なんてそうそうないぞ」
どうやら目の前の神はスマホを持っているようだ。契約する時に職業欄に『神』って書くのかな。住民票とか身分証明書とか色々気にはなるけど、それよりこいつの写真を撮りたいかといわれると、別に撮りたくはない。写真を撮る習慣もないけど、仮に撮るんだったら猫を撮る。あと犬とか鳥とか、あと、
「いや、どうせならラーメンとか撮るから」
「ラーメン!? くぁー、私の扱いは麺類以下ときた! もう十字軍を結成するしかないな!」
めんどくさい。渡来の神というのはどいつもこいつもこんなにめんどくさいのだろうか……そもそもこいつは本当に流れ着いてきた神なのか?

神の成り立ちは何種類かある。
ひとつは誕生した時点で神だったパターン。神話に出てくる創造神とか、神から生まれた神とか。
ひとつは元々人間だったけど神から次代の神として選ばれたパターン。私はこれに当たる。
ひとつは同じく元人間が神へと昇格したパターン。生前の功績で神として祀られたり、反対に死後の怨念や災いを鎮めるために仕方なく神とした場合だ。
他には長く扱われた道具に魂が宿ったり、自称したりとかあるけど、そういった自然発生的な神の中には民の信仰が集まって生まれる神もいる。勝手に建てられた偶像に権威を持たせている内に神が宿ったり、ここには神がいるという創作話が広まる内に本当に神が生まれたり。
もしかしたらこいつも与太話から生まれた類の神かもしれない、私の知ったことじゃないけど。

「くぁー、まあ、いい。せっかく遠路はるばるこんなところまで来たんだ、ラーメンくらい奢ってやろう。知ってるか? この村にはキリストラーメンというラーメンがあってだな……」
怒りが収まったのか、それとも施しを与えて信仰を得たいのか、単純にお腹が空いたのか、渡来だか与太話だかの神は手をひらひらと動かして手招きしながら、歩くこと数十分、村の数少ない飲食店へと案内してくれた。
ちなみにキリストラーメンは、あっさり鶏がら醤油味で、唯一のキリスト要素としてナルトとお麩を六角形にカットしていて、聖職者は肉を食べないからと長芋が入っていた。私は肉食主義者なのでチャーシューを追加するし、ついでに餃子と牛カルビ丼も食べるけど。
目の前でどんだけ食うんだよ、と驚いている与太神を無視して麺を啜っていると、立派な髭を生やした端正な顔つきの、1/70と書かれたTシャツにジーンズ姿の中年男が隣の席にドカッと腰掛けてきた。
「おい、イエス。貴様、まだこんなところをうろうおろしておっ……おや、お客人。食事中に失礼した」
「いえいえ、どーぞ」
私は心の広い神なので相席くらいで文句は言わない。勝手に餃子を食べたら許さないけど、それはもう万死に値する罪だから。

「おい、イエス。貴様、まだこんなところをうろうおろしておったのか。いつまでもキリストなど自称していないで、少しは民草のために真面目に働いたらどうだ?」
「くぁー! そういう貴様こそ、70分の1以下の諸説に過ぎないくせに天皇の座にしがみつきおって。少しは迷える子羊たちのために真面目に働いたらどうだ?」
聞けばこちらの中年男、ここから歩いて1時間半ほどの場所にあるそこそこ昔の天皇の陵墓とされる盛り土を住まいとする人神。陵墓とされる場所は全国に70箇所ほどあり、あくまで候補地のひとつでしかないのだけど、数年前からお祭りも開催されるようになり、流れでこの地に顕現したのだという。
つまり民間信仰から自然発生的に誕生した神、ということになる。もしかしたら本物かもしれないし、いや、本物だったらもうちょっと神らしい恰好してるだろ。
そして遠いヘブライの地からやってきたらしき聖職の神と、古来よりこの国を支えてきた系譜に属するらしき人神は、存在的にあまり相容れないらしくて顔を合わせては小言を言い合い、ラーメンを食べて帰るのだという。
ちなみにその陵墓、観光客が適当に1枚2枚写真を撮った後は通りすがりの猫を激写しているのだとか。猫の人気すごいな、猫は本能的に心を射止めてくるから、それもまた仕方のないことだけど。

「じゃあ結局、猫が一番格上なわけだね」
「くぁー! これだから歴史を知らぬ小娘は!」
「まったく嘆かわしい! 南朝時代から教えねばならんな!」
中年男たちは老害を炸裂させてくるけど、神としての時間は私が圧倒的に古く長いので、黙れ若輩者と一蹴したい。そして早々に猫に白旗でも揚げて、ちゅーるでも献上して和解してこい。

店内にずぞぞぞぞと麺を啜る音が響く。うん、うまい。気が向いたらまた来ることにしよう。


(つーづく)

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