ルチ・フォナ外伝 第37話「儚い夢と醒めない悪夢の話」

「お父様、お母様、今日くらいはみんなで夕食を食べましょう。だって今日は神様の生誕祭ですもの」
「そうだな、そうするとしようか。棚にワインが残っていたはずだ、あれを持ってきなさい」
「それとパンとチーズもあったはずよ。あれも食べてしまいましょう」
なんだか幸せそうな光景ですね。どこかの貴族か司祭でしょうか、あまり裕福そうには見えませんが人の良さそうな顔をしたご夫婦と、女の私から見ても綺麗な顔と青水晶のような髪を持ったお嬢様が簡素なテーブルを囲んでいます。部屋は狭くはないものの派手ではなく、壁も柱も石を重ねただけの簡素な、それこそ書物や廃墟でしか見かけないような古い造りをしていますね。お召し物も麻布を腰で縛っただけの飾りっ気のないもので、背の低いチェストの上に置かれた指輪や髪飾りは混ざり気のある銀の、それらしく形作っただけのような単純なものです。

なんだか随分と昔のようにも見えますが、一体ここは何処なのでしょうか。確か水魔が移動するときの黒い濁水に飲み込まれて、それから誰かに腕を引っ張られたような気がしたのですが……あの手は誰だったのでしょう? 細かったので最初はルチさんが助けてくれたのかと思ったのですが、腕に赤茶色の蛇のタトゥーも群青がかった黒い髑髏のタトゥーもなかったので、ルチさんではない別の何者かだったようです。
その腕に引っ張り上げられたのだとしたら水面に出ているはずなので、ルチさんがいて丸木舟か筏の上にいないとおかしな話になります。かといって水底に引き摺り込まれたのだとしたら、ここは水の中だということになりますが、見ての通り水の中ではありません。ワインも問題なく注がれています。
さらに不思議なことに目の前のご家族からは私が見えていないようです。ご夫婦とお嬢様以外にも何人も兄姉がいて、そう多くはありませんが使用人もいるようです。見る見るうちに10人を超える人数が部屋の中に詰め込まれて、みなさんで穏やかで慎ましい食事を始めました。

「今は魔物たちのせいで世が荒れていますが、きっと神様が私たちを守ってくださいますわ。ねえ、お父様、お母様」
「ああ、そうだとも。神も神の兵たちも我らをお救い下さる、魔物がこの地からいなくなるのもそう遠くないはずだ」
一家はワインやパンに手を付ける前に神への祈りを捧げ始めました。私も一緒に祈っておきましょうかね、特に神など信じていませんが。


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「……この町も終わりだな。酷いもんだぜ、ひとり残らずとはな」

兵士らしき男の言う通り、酷い有様でした。簡素な小屋のような民家は片っ端から焼け落ちて、木製の盾に銅剣や銅矛を持った時代遅れな装備の男たちの死体や、逃げ遅れたであろう住民たちの遺体があちらこちらに散らばっています。どうやらここで戦闘があったようですが……どういうことなのでしょうか、少し瞳を閉じて考え込んでいる間に気づけば別の場所に来ていました。
「まあこれもすべて神の思し召しってやつだ。神に逆らうな、神の意思は絶対である、神の前に悪魔は滅びるであろうってな」
「なにが神だ。ほんとにいるのかよ、俺は1度としてこの目で見たこともねえんだが」
「でも事実として神の敵はいくらでも湧いて出てくるだろ。敵がいるってことは神もいるってことだ。いいじゃねえか、それで」
どうやら彼らは神を信仰する側の兵士のようです。教会の僧兵でしょうか、多少疑いを持ちながらも神の存在は信じているようです。愚痴をこぼしながら瓦礫を押し退けたり、死体を蹴って息があるか確かめたりしています。どうやら彼らからも私の姿は見えていないようですが、武装した連中がうろうろしている中で棒立ちでいるのはどうにも落ち着きませんね。せめて物陰から様子を窺うことにしましょう。

しばらく観察していてわかりましたが、やはりこの町は戦場だったようです。町に住んでいたのは異端と呼ばれる邪神を信仰する人たちで、兵士たちはこの町を制圧した僧兵隊のようです。彼らは神人バスコミアナを信奉する使徒たち、いわばラステディン教会と同じものを信奉する人たちで、もしかすると教会の支部が派遣した僧兵かもしれません。しかしどうにも引っかかるのは、教会の僧兵にしては装備が古すぎる点です。僧兵の装備は主力部隊はランバール銀製、最低でも鋼鉄製ですからね。教会の中でも稼ぎの悪い支部に属しているのでしょうか。
兵士たちはどうやら生存者を捜しているようですが、実態は野盗以下の者です。死体をひとつひとつ確認しては銅貨や装飾品を集めたり、後で慰み者にでもするのか息のある女性を何処かに連れていったりしています。こういう死体漁りの類は戦場跡では珍しくないそうですが、実際に目の当たりにすると不愉快ですね。
それこそ神の罰でも下されて欲しいものです。この世には神などいませんが。

「お前ら、いつまで漁ってるつもりだ。他の奴らはとっくに次の町に向かったぞ」
「すみませんねえ、隊長殿。なんせ俺たちはこの間まで畑でクワ握ってたような農民なもんで」
「神様のために残党狩りをしていたのであります」
兵士たちは後ろからやってきた馬乗りの僧兵に下卑た笑みを向けながら言い訳を吐き出して、早く行けと叱られながら町の外へと走っていきました。
妙ですね、現在の教会は主だった戦闘をシェーレンベルク騎士団に委託しているので、徴兵や囚人の戦線送りは既に制度として廃止されたはずです。
「……あんな質の低い兵を取り立てねばならんとは、モールディエラ領の未来は明るくなさそうだ」
モールディエラ領? ここが遥か昔に滅びたモールディエラ領と言うのですか?
だとしたらやはり変です。かの国は教会とは別の神を信じる異端者の国で、教会との戦いに疲弊して滅びたと聞いています。しかし目の前にいる彼らは紛れもなく神人バスコミアナを信仰する教会の僧兵で、仮に直接教会の属していないとしても敵対しているようには見えません。

歴史というのは勝者の都合のいいように語られがちなものですが、どうやらこの地で起きたことは随分と違っていたようですね。これが私の見ている夢でなければの話ですが。


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「領主殿、お待ちしておりました。先程、例の術が完成したところです」
「本当か! ああ、これで面倒な異端狩りをせずに済む」

目を開けると再び場所が変わっていました。どうやら教会の研究室のようですね、形は古いですが錬金術師が使うような器具があちこちに置かれていて、かなり古いものですが初期の錬金術や魔道の研究について書かれた書物が大量に積んであります。
領主は団欒の席にいた品の良さそうな初老の男で、なにか若返りの秘薬でも飲んだのでしょうか。団欒の時よりも肌艶や髪色が若々しく見えます。領主は対面の研究者になんらかの術を作るよう頼んでいたようで、その術は研究者曰く画期的で歴史を変えるほどの成果を生んでくれるものだそうです。
ふたりが話す部屋の反対側に置かれた研究成果が、檻の中で彼の言葉の信憑性を高めています。檻の中にいるのは1匹の猿ですが、その体の半分は野犬のような生き物が組み込まれて、前足の片方は鋭く鋭利な骨のように尖っています。なんていうか、まるで水魔のようですね。ところどころで共通する作りが見受けられます。

「しかし領主殿、本当にいいんですかね、自らの領民を化け物に変えてしまうなんて」
「人聞きの悪いことを言ってくれるな。いいか、我々が彼らを化け物に変えるのではない、残念ながら領民の中に人に化けていた悪魔が入り込んでいるのだ。これまでは異端共が隠れて信仰していた邪神の使い、それがとうとう現れてしまった、そういうことだ」
「まあ、あたしは好きな実験が出来るならそれでいいんですがね」

なにやら随分ときな臭い話をしています。この魔女のような研究者は人間を化け物に変えてしまう術を作り出したらしく、領主はそれを使って悪魔を出現させるようです。この時代、古代モールディエラ領の時代の教会は宗教としても軍隊としてもまだ歴史の浅い新興勢力のひとつでしかなく、勢力を拡大するために各地で異端者を作っては狩り、その度に兵を集めていたようです。
もしも幼い頃から過ごしてきた土地に、それも兄弟や家族のように過ごしてきた間柄の人間の中から悪魔が現れ、それを教会の僧兵が討伐してくれたとなれば人心を掴むには充分な効果が望めるでしょう。まさか教会の自作自演だとは思いも寄らないでしょうし、それを領主が指図しているとは想像すら出来ないでしょう。
「それで、その術を掛けるにはどうすればいいのだ?」
「簡単なことです。彼らの摂る食事の中に、飲み水でも構いません、こいつを混ぜるだけです」
そう言って研究者は小さなガラス瓶に詰められた黒々しい液体を領主に手渡しました。
「そいつはあたしの部下が苦労して手に入れたものでして、ドラゴンゾンビから切り出した血肉に魔法銀を溶かしたものです。これは秘匿中の秘匿ですが、ドラゴンの血肉には生き物の設計図そのものを作り変える魔力が宿っていましてね、そこの猿は野犬の肉と一緒に1滴飲ませてみたわけです」
さらに研究者は続けました。ドラゴンゾンビの血だけを飲ませたら生き物は急速にアンデッド化し、他の生き物の肉と一緒に摂らせればその性質と姿を受け継いでみせるのだと。またその性質を定着させるには水銀や鉱水よりも魔法銀の方が適しているのだとも。

もしかして水魔とはドラゴンゾンビの血肉を食らった人間なのでしょうか。もしこの夢が現実に起きたことなのであれば、すべての元凶は彼らにあるといえるでしょう。


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「領主様、頼まれていた魔法銀、ここに置いておけばいいですかね。おっ、旨そうなスープですね、俺も貰っていいんですかい?」
「ああ、領主様。お薬を頂けるのですか、ありがとうございます」
「パパ、ママ、領主様にソーセージを頂いたの!」
「神よ、今日も我ら力なき民にご加護を与えたまえ」

また時間と場所が飛んでしまったようです。領主はあれから各地を渡り歩き、老若男女を問わず領民にあの術を仕掛けて回りました。あえて年齢や性別をバラバラにしたのは、特定の属性に偏らせないようにでしょう。例えば若い女だけにしてしまうと勝手な魔女狩りが始まってしまいますし、老人だけにすると領地の一部が勝手に姥捨て山と化してしまいますからね。自分たちで操れない騒動が起こるよりは偶発的な発生にしておいて、その都度制圧して回る方が効果的なのでしょうからね。
とはいえ酷い話です。怪物化した領民は派遣された僧兵に討伐され、それまで徴税のように集められていた兵士たちは自らの意思で神のしもべとなる狂信者となってしまいました。自分たちも神の兵となって悪魔を倒すのだと名乗り出て、本来憎くもない顔見知りだった人を討つために命を投げ出すわけですから、これほど醜悪な話もありません。

まだ神の方がマシな気がしてきました。結局一番邪悪なのは人間そのものなのかもしれません。


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しかしそんな卑劣な所業が、いつまでも上手くいくはずがありません。
領主の作った怪物たちは増える度に予期せぬ性質を持ってしまいました。彼らはいつしか黒い濁水となってその身を溶かす力に目覚め、嵐や洪水に乗じて次々と領地を破壊してきました。水魔と成り果てた彼らを止める手段はもはや領主には無く、神の使徒と名乗る僧兵たちは暴走を繰り返して怪物の現れた町を片っ端から焼き払い、その道中でありとあらゆる非道と欲望を吐き出しながら進みました。

「領主様、証拠になりそうなものはすべて処分しました、すべての罪はこいつに背負わせましょう。我々はどこか人里から離れた山奥にでも逃げます」
共犯者たちが去った後には恐怖が貼りついたままの研究者の首と、口止め料として中身をくすねられた革袋が残っていました。こんな姿になると気の毒な気もしなくはないですが、悪党の末路としてはちょうどいい落としどころでしょう。
領主は生首を暖炉の炎の中に投げ込んで椅子に腰かけ、未来を憂いて両手で顔を覆ってしまいました。
それはそうでしょう、もはやモールディエラ領にまともに機能している町や村はなく、雨と共に闊歩する化怪物たちと家から出れず飢えていくだけの難民同然の生存者、欲望に任せて暴れ回るだけの破壊者の集団しかいないのですから。

領主の屋敷が襲われるのも時間の問題でしょう。数日前までささやかな団欒を囲んでいた部屋の外では、無数の松明の明かりが近づいていたのです。


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ああ、かわいそうに。領主もまさかこんな結末を迎えるとは想像していなかったでしょう。
ゆっくりと瞼を持ち上げた私の瞳に映った世界は地獄そのものでした。領主は暴徒だけが残った僧兵たちに屋敷を焼かれ、年老いた両親と息子たちは豚の食べ残しよりも酷い姿に変わり果ててしまい、妻も娘たちもみんな残らず凌辱され尽くしてしまいました。
あの青水晶のような髪をした令嬢は、かろうじて息のある使用人と共に落ち延びました。追手が来ないのは暴徒たちがもう充分に満足していたからか、追うまでもないと判断したからか知りませんが、令嬢たちからすると幸運だったのかもしれません。いえ、幸運なわけがないですね……真に幸運があればこんな目には遭っていませんから。

「お嬢様、気をしっかり持ってください。今は辛いでしょうが、生き延びればきっと良いことがあるはずです」

「お嬢様、あと7日ほど歩けばモールディエラ領の外です。教会の誰かがきっと助けてくれるでしょう」

「お嬢様、さぞ辛かったでしょう。ですが彼らから水と食糧を分けて貰えましたよ」

「お嬢様、私はもう駄目です……これをお飲みください、領主様が持っていた薬です。この先は独りでお進みください、きっと行き先は今より幸福なはずです……お許しください……他にもう生き残る術がないのです」

令嬢はモールディエラ領の外へは辿り着けませんでした。独りで歩き続ける力は残っていませんでしたし、独りで生きていくには奪われたものが多すぎました。その代わり命だけは繋いだのです。
使用人が持ち出した薬瓶、あれにはドラゴンゾンビの血肉が詰まっていました。おそらくいざという時に自身に使おうとでも考えていたのでしょう、それは不運にも叶いませんでしたが代わりに娘の命だけは救いました。
ですが瓶の中の血肉を薬と信じ、すべて飲み干してしまった令嬢には尋常ならざる変化をもたらしました。それまでに生まれた水魔とはおぞましさも恐ろしさも桁違いの、まさに怪物の名にふさわしいものへと成り果ててしまったのです。


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「……痛っ!」

あまりの凄惨な光景に気を失ってしまっていたようです。掌に棘が刺さったような鋭い痛みで目を覚ますとこれまでに見た覚えのない石造りの屋敷の中に居て、天井からは蜘蛛の糸のように私に向かって1本の糸が伸びていました。糸は私の右の掌に繋がっていて、骨を削って作った歪曲した針で引っ掛かっています。
この針は確かルチさんが釣りに使っているものです。ということはルチさんが水面の上から釣り糸を垂らしていて、このまま私を引き上げてくれると、そう思ってもいいですよね?

しかし糸はそこに私がいると確認するように軽く持ち上がっただけで、次の瞬間には天井が揺らぎ、釣り竿を握り締めたルチさんが降ってきました。


▶▶▶「悪魔を呼ぶ濁水と大地を癒す清水の話」

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