ルチ・フォナ外伝 第33話「幻のピンクカバの話」
ポルパ・ティベンヌイ、エルメ・ゼベモウ・ランシア! レメ、ドミ・シルベミ・レベーテ! ……と言われたところで、ヒルチヒキ族を含めたピョルカハイム保護区諸部族の言語体系を知らないとさっぱりわからないと思うので、いわゆる標準語に翻訳しよう。ランシア狩猟隊との戦闘で負った怪我がようやく治り、どういうわけか今は拠点近くの渓谷でカバに追いかけられている。
このピョルカハイム保護区において、カバに追いかけられるほど不吉で不名誉なことはない。土煙と砂利を巻き上げながら爆走するカバから逃げながら、私は今にも破れそうな肺にありったけの空気を流し込んだ。
「カバババババ! カバババババ!」
逃げても逃げてもカバは追いかけてくる。こっちが崖を登って撒こうとしても、絶対に諦めることなく執拗に追いかけてくる。おそらく地の果てまでだって追いかけてくるだろうけど、それまでには私の体力が尽きてしまうし、さらにそれより先に足に限界が来てしまう。
いつまでも逃げてられるかとベリニャ式狙撃銃で頭や足を撃ってみたところで、転がり始めた岩がそう簡単には止まらないように、走り出したカバも簡単には止まらない。
ちなみにカバババババという銃声にも近い音は、カバから漏れてくる鳴き声だ。
まったく、どうしてこんなことになったんだか……崖をどうにか上りながら私はカバの鼻の辺りに、苦し紛れの銃弾を撃ち込んだ。
◆❖◇◇❖◆
話は少しだけ、川魚の遡上ほどではない時間だけ遡る。
ヘイルワードの矢に貫かれた左肩が完治した私は、暇そうにあれこれと手を動かしていたノルンを誘って釣りに出掛けた。せっかくの久しぶりの釣りだからと、普段のヴァッカレラ族の縄張り近くの川ではなく、もう少し離れた場所にある渓谷を釣り場に選んだ。
その渓谷はトビウオが大漁に棲む知る釣り人ぞ知る穴場で、今の時期だとトビウオ以外の魚も沢山釣れる。
「トビウオですか?」
「そう、トビウオ。渓谷に棲んでる」
わざわざ説明するまでもないけど、トビウオはその名の通りエラの辺りから翅状のヒレを生やした魚だ。ヒレを鳥や虫のように羽ばたかせて、その名の通り空を飛ぶことが出来る。もちろん短い時間なら、空中に留まることも可能だ。とはいえ魚だから一日の大半は水の中で過ごして、餌を獲る時だけ水中から飛び出してくる。トビウオが食べる獲物は主に小さめの鳥や小型の猛禽なんかで、気が向いたら崖を移動するヤギを狙う時もある。
トビウオの体長はハイエナくらいで、基本的に30匹くらいの群れで行動する。空を飛ぶハイエナの群れと考えてもいい、そんな魚だ。
「私が本で読んだトビウオと随分違う気がしますが、考えるだけ無駄なので受け入れることにします」
「本、たまに間違う。ノルン、ひとつ賢くなった」
保護区の外で書かれた本は意外と間違いが多い。特に魚に関しては、書き手は本当に釣りをしたことあるのかと不思議になるくらい間違えている。きっとトビウオも全然違う風に書かれているのだろう、外の本には私たちの知らないこともいっぱい書いてあるけど、情報の正しさという点ではいまいち当てにならない。
そんな正しい方のトビウオが渓谷に棲んでいる理由だけど、この辺りは雨季になると大量の雨が降る。渓谷ともなると半分ほど沈むため、雨季が近づくと獣たちは崖の上や荒野へと移り住み、一方で魚たちは乾季のうちに卵を産んでおいて、雨季に入ると同時に孵化させようと考える。
もちろん魚たちが集まれば卵を狙ってコンドルやイヌワシだって寄ってくるけれど、幅の狭い渓谷はトビウオの絶好の狩場でもある。
よって魚からすれば比較的安全な産卵場所であり、トビウオからすれば鳥が勝手に近づいてくれる狩場でもあり、人間からしたら大量の魚が釣れる天然の釣り堀でもあるというわけだ。
そういうわけでこの渓谷にはヒルチヒキ族やヴァッカレラ族だけでなく、もっと遠くで暮らしている他の部族の釣り人も集まってくる。
「へー、なんだか上手く出来ているんですね」
ノルンが感心したように渓谷を見渡しながら、私たちより先に到着していた釣り人たちに目を向ける。
「それにしては、みなさん釣果がよくないみたいですが」
「そういう日もある、仕方ない」
穴場だからといって必ず釣れるとは限らない。生きた魚を相手にするのでポイントから離れていることもあれば、釣り人を警戒して餌に食いついてくれない時もある。それはそれで釣り方を変えてみたり、あえて罠を仕掛けて昼寝でもしてみたり、新しい道具を試してみたり、今日は残念だったと肩を落として帰るのだって釣りの楽しみ方だ。
「魚、今日はいない?」
「ああ、今日はさっぱりだ。ボウズだ、ボウズ」
ボウズとは釣果がないことを指す釣り人の間で使われている暗号だ。由来は知らないけど釣れなさ過ぎて悔しさのあまり髪の毛を毟ってしまった男の話が元になっているとか、釣れていることにも気づかないくらい耄碌したおじいさんが髪の毛が1本も残っていなかった話から派生したとか、諸説あるけどとにかく釣れないことを示す暗号がボウズだ。
「君たちも諦めて帰った方がいいぞ。こういう日は釣りよりも狩りだな、俺たちは今から岸壁ヤギを狙いに行ってくる」
釣り人はそう言いながら弓矢を掲げてみせた。もちろん潔く切り替えるのもアリだ。釣りはしつこく粘るのもよし、早々に撤退するのもよし、そういう判断も釣りの醍醐味のひとつだ。
もちろん私は釣りに挑む。理由は簡単、そこに魚がいると信じているからだ。
◆❖◇◇❖◆
そうして渓谷に降り立った私とノルンを待っていたのが、トビウオでもピョルカパーチでもピラニアでもなくカバだったのだ。
カバは最悪の生き物のひとつだ。最悪とは危険でも獰猛さでもなく、ましてや人間を捕食することでもなく、煮ても焼いても食べられないことだと長老が言っていたけど、そういう意味ではカバは紛れもなく最悪といえる。なんせこのピョルカハイム保護区では色んな生き物を食べた武勇伝を耳にすることが多いけど、誰ひとりとしてカバを食べたという者に出会ったことがない。食べた者がいないということは、食べて生き残った者がいないのと同じだ。
「……なんですか、あの変な生き物は?」
「ノルン、カバ知らない?」
「カバ? 逆立ちしたバカみたいな名前ですね」
カバは水牛よりも一回り大きくて全身がずんぐりとしていて、足も胴も首もなにもかもが太くて短い、そんな奇妙な姿をしている。気性が穏やかなのか静かに水を飲んでいたかと思いきや、急に荒々しさを発揮して前足で地面を叩き鳴らして威嚇を始めたりするので、肥え太った体にしては繊細なのかもしれない。
カバはヒルチヒキ族の縄張りでは滅多に出くわすことがない。特定の縄張りを持たずに水辺を転々と移動し、道中で出くわした肉食のオオトカゲやワニを捕食することが多い。場合によっては人間や家畜にも襲い掛かり、特に歯応えのある足の腱を好む。そんなよくわからない正体不明な生き物がカバだ。
「ルチさん、カバの向こうにずらっと並んでいる人たち、あれは誰ですか?」
「ヒッポペル族、カバの崇拝者」
ヒッポペル族、カバを崇拝する異常者の集団で、最悪の部族とも呼ばれている。男も女も関係なく全員が頭を剃り上げて、特にピンク色のカバを神として崇めている。祈りを捧げる姿はどこから眺めても異常者にしか見えず、あらゆる価値観の上にカバの存在があり、どんなに友好的であっても、仮に命の恩人であってもカバを崇拝しない者は異端者とみなして攻撃してくる。
異端者に対しては地の果てまで追いかけてカバに捧げるための足首を切り落とし、それを成し遂げるためならどれだけ犠牲が出ても構わないとする頭の壊れ具合も最悪だ。
そして最悪なことに目の前にいるカバの色は、生き血にヤギの乳を混ぜたような色、すなわちピンク色だ。
「ハァーッ! ヒポポタマスヒポポタモッソ、キボーコヴィボーコ!」
ちなみにヒッポペル族は自分たちが考えた独自のカバ崇拝語で話す。当然意味は私たちには解らないし、実は自分たちも解っていないという噂もある。
ヒッポペル族は両足を限界まで広げた足首を強調する姿勢で謎の呪文を唱えて、ひとりが腰に下げた鉈を使って自分の脛から下を両断してみせた。これはヒッポペル族の祈りの儀式で、カバに自らの足を供物として捧げることで願いをひとつ叶えてもらうらしい。
「ハァーッ! イポポータモイポポターモ、ホーマホーマー!」
足を切り落としたヒッポペル族の男が仕上げに自らの首を切り落とす。これは儀式の仕上げであると同時にヒッポペル族の伝統的な戦い方でもある。体も小さく狩りも戦いも見てられないほど下手な彼らは、自らの足と魂を捧げることでカバに魂を宿らせて、代わりに戦ってもらうのだ。にわかには信じがたい話だけど、実際にカバの瞳に獰猛な敵意が宿り怒り狂って走ってくるわけだから、気狂いの妄想と馬鹿にしている余裕もない。
「ルチさん、私たちなにもしてませんよね!?」
「してない。ヒッポペル族、頭がおかしい。災害みたいなもの」
どうして攻撃してくるのかわからないけど、仮にあったとしても大した理由はないだろう。カバへの信仰が足りないとかそんな理由でカバをけしかけるのが、最悪の部族ヒッポペル族なのだ。
釣り竿の代わりにベリニャ式狙撃銃を握り締めてカバの眉間に狙いを定める。カバは見るからに鈍重な生き物だ、弾丸を機敏に避けることなんてまず出来ない。その代わりに分厚い皮膚と塊のような肉で全身が覆われているから、弾丸が肉の奥まで届いて骨を貫いてくれるかは不安が残る。
「試し、撃ってみる」
「そうですね、私もボーラを投げてみます」
カバに向かって引き金を引き、それに続いてノルンがカバの足下にボーラを放り投げる。弾丸はカバの眉間に突き刺さったものの分厚い皮膚と肉に阻まれて、埋もれることもなく地面にこぼれ落ちた。ボーラに至ってはカバの前足に絡みついたものの、一切動きを緩めさせることもなく勝手に千切れてしまった。
「ノルン、逃げる!」
「そうですね、逃げるが勝ちです!」
そうして私たちはカバが追いかけて来れない崖の上へと逃げることにしたのだ。以上、回想終わり。
◆❖◇◇❖◆
「ハァーッ! イッポポタモイポポターモス、ニールプフェーアト!」
「カバババババァ!」
渓谷の底に墜落したカバが祈りと共に起き上がり、壁を垂直に平坦な道を散歩するような軽やかさで上ってくる。
さっきからこの繰り返しだ。ヒッポペル族の祈りの儀式がカバに力を与えるようで、本来なら走れないような崖の中腹でも平気で追いかけてきて、銃弾や落下で負った怪我も何事も無かったかのように瞬時に癒してしまう。
このままではキリがない、いよいよ地の果てまで逃げてることも覚悟しないといけない。本当に地の果てまで来るのかな、少なくとも拠点やヒルチヒキ族の集落くらいなら平然と追いかけてきそうだ。それはそれで困る、自分の身の安全は最優先だけど同族の安全だって重要だ。やはりここはカバをどうにかする他ない、倒せないにしてもどこか遠くに追い払ってしまいたい。
「ルチさん、私に名案があります」
「同じく! 私も考え、思いついた!」
私とノルンの思考は一致していた。カバがヒッポペル族の祈りで力を得ているなら、力の供給元を断てばいい話だ。川をせき止めて干上がらせるのと同じで、この場からヒッポペル族を排除してしまえばいい。その手段が私の場合は頭と心臓を撃ち抜くことで、ノルンの場合は火炎瓶で威嚇して追い払うという違いはあるけど。
そうと決まれば話は早い。まず手始めにノルンが崖の上からヒッポペル族に向けて火炎瓶を放ると、ずっと無理な姿勢で祈っていたせいか立ち上がって逃げようにも一歩も動けずに、煙に包まれてバタバタと倒れていったのだ。
なんだか煙で燻されたアリみたいだなあって眺めていると、ヒッポペル族に合わせるようにカバも転がり落ちて、そのまま仰向けに引っ繰り返ってしまった。どうやら本当に魂が宿ってるのかもしれない、それが弱点になってしまうとは考えてなかったみたいだけど。
「……どうしましょう? 今の内に逃げますか?」
「下流に流す。ここに残る、すごく邪魔」
カバの背にヒッポペル族を積み重ねて川に突き落とすと、呑気にぷかぷかと流れに身を任せて遠ざかり、そのまま下流の彼方へと流れていった。このまま帰ってこないで欲しいところだけど、カバはどこまでも追いかけてくるという。仮に地の果てから戻ってきてしまったら、その時はその時に考えることにする。
そう覚悟した途端、目を覚ましたカバが川の流れに抗いながら戻ってくる。背に乗っていたヒッポペル族はカバが揺れる度に水の中に落ちて、そのまま流されて行ってしまっているけど、カバは崇拝対象である以前に野生の猛獣だ。人間の都合で動いてくれるわけではない、よってカバの取る選択肢はひとつ、無視して進むのみだ。
「ハァーッ! ヒポポタモ……タスケテー!」
「ハァーッ! イポポータ……ダレカァー!」
ヒッポペル族も自分の死が差し迫ったら人間の言葉を使うらしい。もちろんカバをけしかけるような連中を助ける義理はない、そのまま流されてもらうのみだ。
「ルチさん、物は試しなんですが、あの銃も持ってきてますよね」
「持ってる。使ってみる」
あの銃とは砂漠の向こうで手に入れた狙撃手の遺品スノーマンだ。狙撃手の使った銃は氷の弾丸を発射する教会の特製品で、使い手の魔力に応じて弾丸の鋭さと強度が変わる。もちろん魔道士でもない私には狙撃手ほどの魔力はないけど、通常の弾丸で貫けないカバの肉でも魔法の弾なら通用するかもしれない。仮にダメだったら、それはそれで次の手を考えたらいい。
私は銀の装飾のついたスノーマンを構えて、カバの頭に狙いを定める。弾丸に力を注ぐのも魔力を注ぐのも要領は同じだ、集中して素早く銃口に意識を向ける、その時に戦意や殺意は込めないように余計なものは取り除く、それだけだ。
迫りくるカバに対峙したまま引き金を引く。氷を踏んだ時のようにパキリという音を立てて放たれた弾丸は、鋭利な氷の刃となってカバの頭に突き刺さり、そのまま肉を切り裂きながらどす黒い血を撒き散らしてみせた。
一撃必殺とはいかないまでも充分に効果的だ。ヒッポペル族のいなくなった今なら、カバを退治することも出来なくはない。
「ギャバババババァッ!」
氷の弾丸を次々に浴びせられたカバは一際大きい悲鳴を発して川に飛び込み、そのまま下流へ下流へと逃げ出した。あれだけ痛めつけておけば仕返しも考えないだろう。念のため今夜からしばらくの間、寝床のすぐそばに魔法銃とナイフは置いておくつもりだけど。何事も備えておくに越したことはない。
ところで逃げるのに夢中であまり気にならなかったけど、カバは肉も食べられないけど体臭にも独特のえぐみがある。トビウオも他の魚たちもカバが水の中にいたせいで、もっと上流に上ってしまったのか、それとも下流に帰ってしまったのか、この渓谷から姿を消してしまった。
まったく、カバとはつくづく迷惑な生き物だ。
その後、カバは凝りもせず夜のうちに拠点まで仕返しに来て、テントをすーっと音もなく捲って忍び込み、足首から先を食い千切ろうとしてきた。地の果てまで追いかけてきたという話も、あながち嘘ではないのかもしれない。
ちなみに氷の弾丸を撃ち込めるだけ撃ち込んだおかげで、足首はちゃんと付いてる。枕元にはなぜかピンク色のカバの像が置いてあった。縁起が悪すぎるから荒野の果てにでも捨てておこう。
▶▶▶「雨と共に現れる怪物の話」
≪入手アイテム≫
ピンクのカバ×1
≪エネミー紹介≫
カバ神様
種 族:ピンクカバ(オス・年齢不明、属性:水)
クラス:ピンクカバ(レベル25)
移 動:4↑1↓2(水兵)
HP 腕力 魔力 守備 魔防 命中 回避 必殺 幸運 魅力
現在値 50 20 3 15 5 20 4 16 4 0
【スキル】
【個人】カバの神様(物理攻撃による被ダメージを半減する)
【種族】足喰いの怪物(攻撃命中時、確定で移動封じを付与)
【習得】ノックバック(直接攻撃時にノックバック発生)
【習得】チャージ(力を溜め、次のターンに威力1.5倍の攻撃を行う)
【特殊】高低差無視移動(高低差を無視して移動する※)
【特殊】完全回復(ターン開始時にHPを完全回復する※)
※ヒッポペル族の儀式実行時のみ使用可能
【技能】
短剣:E 剣術:E 槍術:E 斧鎚:E 鞭術:E 弓術:E 銃砲:E
体術:C 探索:C 魔道:E 回復:E 重装:E 馬術:E 学術:E
【装備】
なし
【所持品(3)】
なし