ルチ・フォナ外伝 第38話「悪夢と幸せな夢の話」
この世で最も恐ろしいことは孤独であること、なんて聞いたことがあります。過酷な状況下であっても心を寄せ合うことが出来る家族や友がいれば乗り越えることも出来る、というのは少々楽観論が過ぎる戯言だとは思いますが、そういう人がいるといないとでは精神の安定が大きく変わることは事実です。
とはいえ脱出方法も見つかっていない悪夢の中に、ルチさんが落ちてくることないじゃないですか。どうするんですか、ルチさんまで出られなくなったら。
「水の中、屋敷になってる! おかしい!」
ルチさんはあの光景を見ていないんですかね? 水魔に飲み込まれた私と自ら飛び込んできたルチさんとでは入り方が違うからでしょうか、そうだとしたらあれは飲み込んだ者を惑わせ、捕らえるための罠だったのかもしれません。
「ルチさん、どうやらここは水魔が見ている悪夢の中のようです」
「悪夢? ここ、夢の中?」
にわかには信じがたいでしょうが、夢というものは眠っている間に呼び起こされる記憶が組み合わさったものだといわれています。よって眠る者が知らない人物、知らない景色は現れることなく、どこかで見知ったもので築かれているのだそうです。
さっきまでの凄惨な光景も痛々しい出来事も、私たちが立っているこの場所さえも、すべて私の知らないものばかりで作られていて、まるで別の誰かの夢の中みたいなのです。
「ですが夢であるということは、必ず終わりがあるはずです。永遠に眠る生き物なんていませんからね」
仮に冬眠のような状態にあって、私たちが飢えて力尽きるよりも長い間を眠られてしまったらお終いですが、そこまで悲観的になるのは自殺志願者のようなものですからね、前向きに出口でも探すことにしましょう。
「ルチさん、私の後ろにいてください。なにかあったら合図なしで構いません、撃ってください」
鬼が出るか蛇が出るか、私は当てに出来るかわかりませんが盾を構えながら、石畳と石壁で囲まれた廊下をゆっくりと進み、すぐ間近にある扉に手を掛けました。
◆❖◇◇❖◆
「おはよう、アルルヘムテ。早く神様へのお祈りを済ませてきなさい、今日はお前の大好きなパイを焼いてもらったからね」
「あらあら、アルルヘムテったら。慌てて走ったら転ぶわよ、まったくもう、お父さんの悪いところばっかり真似するんだから」
扉を開けるとそこは落ち着いた造りの部屋になっていて、10人以上の家族が使うような長いテーブルに銀製の杯や食器が綺麗に重ねられていて、床の上には鏡写しのように椅子が左右対称に並んでいます。部屋の中にいたのはさっきまでの悪夢に出てきた領主とその妻で、夢で見た姿よりも幾分か若い姿をしています。その口ぶりはまるで幼い子供に言い聞かせるようで、瞳は無条件で愛を注ぐような優しさで満ち満ちています。
ところでこの人たちには私たちが見えているんですかね? さっきまでは誰の目にも映っていない、或いは映りはしても認識はされていない様子でしたが、今はどうなんでしょうか。会話が成立するのであれば、ここから出る手掛かりが見つかるかもしれません。
「お邪魔しています。私たちはここに迷い込んだ者でして……」
「おはよう、アルルヘムテ。早く神様へのお祈りを済ませてきなさい、今日はお前の大好きなパイを焼いてもらったからね」
若い領主は慈愛に満ちた瞳で私の腹の辺りを見下ろしながら、先程と一言一句違わぬ言葉を繰り返しました。
「……あの、お聞きしたいことがあるのですが」
「おはよう、アルルヘムテ。早く神様へのお祈りを済ませてきなさい、今日はお前の大好きなパイを焼いてもらったからね」
どうやら会話は成り立たないようです。もしかしたらこの人は生きた人間ではなく……そもそも生きてはいないはずの時代の方ですが、この悪夢の中でも生きているわけではなく、ただ同じ言葉を繰り返すだけの人形のようなもののようです。
ということはですよ。
「あらあら、アルルヘムテったら。慌てて走ったら転ぶわよ、まったくもう、お父さんの悪いところばっかり真似するんだから」
やはり領主の妻も同様ですね、同じ言葉を繰り返すだけです。そもそも私もルチさんも走り回ったりしていませんからね。相手の年齢や行動とは無関係に、同じ反応を示すだけのようです。
「私、ルチ。アルルヘムテ、違う」
「あらあら、アルルヘムテったら。慌てて走ったら転ぶわよ、まったくもう、お父さんの悪いところばっかり真似するんだから」
ルチさんも同じ言葉を繰り返す相手に、不思議そうに小首を傾げています。
「ルチさん、情報を手に入れるのは難しいようです。他の部屋を探してみましょう」
「同じ言葉繰り返す。叩いてみる?」
「やめておきましょう。急に襲い掛かられても困りますからね」
攻撃してみた時の反応も気にはなりますが、それを試すのは最後の手段です。戦わずに探せる場所を調べ終えて、どうにもならない時に選択肢に加えましょうか。
◆❖◇◇❖◆
やはり同じ言葉を繰り返す使用人たちに落胆しながら幾つかの部屋を抜けると、どこかで見たような額に穴が開いて後頭部が吹き飛んで空洞になっている髭の男が廊下を歩いていました。あんな状態で生きている人はいませんからね、あれも水魔が見せている悪夢でしょう。それにしては随分と毛色が違うのが気になりますが。
「ここはどこだ? 一体どうなってやがる? 俺のかわいくねえウスノロ共は、どこへ行っちまったんだよお!?」
情緒不安定なのでしょうか、急に叫び始めました。なにやら聞き覚えのある言い回しと声ですが、もしかしてどこかでお会いしましたかね?
「……んんうん? なんだあ、お前らさっきのちびっこ海賊団じゃねえか! 俺だよ、俺! 不死身の大海賊ボルヴォー・ムルスンスダン様だよ!」
思い出しました、ルチさんが水上で仕留めた海賊ですね。なんでこんな状態で生きているのか不思議ですが、もしかして死の定めから外れし呪われた種族アンデッドの類だったのでしょうか。いや、だったらもう少しアンデッドらしくしていて欲しいものですが。たどたどしく喋るとか元気が無さそうとか、自我がないとか、アンデッドにも風情というものがあるわけでして。
「というわけで、そこの骨っこ娘にやられて水に落ちたと思ったら、よく知らない屋敷にいたってわけだ」
余計なことを考えている内に経緯を語ってくれたようです。ほとんど聞き逃してしまいましたが、要するにルチさんに頭を吹き飛ばされて落ちた後に、気づいたらここにいたということのようです。聞き逃した箇所は彼の生い立ちや武勇伝だったので、聞く価値は特に無かったとしておきましょう。
「要するに出口はご存じないわけですね」
「知らん! そんなもの見つけてたら、とっくに出てるに決まってるだろうが! おまけにこの屋敷、出くわす奴出くわす奴、なにを聞いても同じ言葉しか返してこない! きっと薬物中毒者だな、だから俺は言ったんだ! 海賊は良いが薬は駄目だぞってなあ!」
麻薬は当然として、海賊も駄目に決まってるじゃないですか。
「私とルチさんはこんな感じで小部屋を進んできました」
背負った鞄の中から紙と木炭を取り出し、おおよそのルートを描いてみました。マッピングの技術に自信はありませんが、教会の調査隊にいた頃に地図の描き方とコツは教わっていますので、まったく駄目というわけではありません。
この屋敷の全容が解明されていませんので、出発地点はいったん真ん中にしておきます。
「ここで鉢合わせたってことは、俺が来たのはこういうルートだな」
海賊は普段から地図を眺めることが多いからか、意外と器用かつ繊細にここまでの経路を記してくれました。彼の出発地点は空き室同然の小部屋だったようで、その後も他に行けそうな道は無かったようです。もしかすると隠し通路などあるのかもしれませんので、いよいよ行き詰まったら戻ってみるのもアリですね。今は頭の片隅に置いておきましょう。
「となると進める可能性があるのはこの廊下の先、あとは私とルチさんの出発点に戻ってルートと反対方向ですかね。まずはこのまま廊下を進んでみましょう、それでいいですね?」
「うん。正解、どのみちわからない。進んでみる、他にない」
「俺もそれで構わねえ。そっちの骨っこ娘との決着をつけたいところだが、まずはこのよくわからねえ屋敷から脱出するのが先だ」
海賊も異論はないようです。あなたとルチさんの勝負は既にルチさんの完勝という形で終わっているので、そこに関しては異論がありますが。
◆❖◇◇❖◆
「アルルヘムテ様、お兄様が探していらっしゃいましたよ」
「探したわよ、アルルヘムテ。今日は教会に司祭様のお話を聞きに行く日なのよ」
「アルルヘムテ、こっちへおいで。今日は兄と一緒にお散歩に出かけるぞ」
廊下を進み幾つかの小部屋を覗いてみましたが、やはり出くわす人たちはこちらをアルルヘムテと呼び、同じ言葉を何度も繰り返していました。どうやらアルルヘムテはこの屋敷のお嬢様で、領主の娘の中では最も幼いようです。悪夢に現れた青水晶のような髪色の令嬢でしょうか? だとしたらあの令嬢を探せば出口もおのずと見つかるかもしれません。
そう思った矢先、突如として頭に靄がかかったような意識が失うような睡魔が襲い掛かってきました。疲れや空腹が原因ではありません、まるで力尽くで夢の中に引き摺り込まれるような、起きていながら夢を診させられるように、視界と聞こえる音の中に夢が混ざり込んできます。
「グルルルル!」
私を夢から引き摺り出したのはルチさんに纏わりつく精霊虫でした。二の腕の辺りに噛みついて、その痛みで強引に起こしてくれたのです。
「眠る、危ない」
ルチさんも左手の小指を咄嗟に折り曲げて眠りから逃れたようです。眠りを罠と見抜いての判断力は流石ですが、そう何度も使える手ではありません。まだ治療は必要ありませんが、ルチさんの指の数も私の血の量も、それにポーションにだって限りがありますからね。
「ルチさん、急ぎましょう。嫌な予感がします」
「廊下、走る。とにかく急ぐ」
ルチさんもあの睡魔にただならぬ気配を感じ取ったようです。一度でも捕まってしまうと命を刈り取られてしまうような、そんな背筋を毒虫が這うような危機感を孕んでいました。
「んがああああ! んごおおおおお!」
海賊は豪快ないびきを奏でながら眠りこけています。叩くなり蹴るなりして起こしてもいいのですが、このまま寝かせておきましょう。眠った場合にどうなるのか、なにか情報を得られるかもしれません。
私とルチさんは海賊を置いて先を進むことにしました。一向に出口はわかりませんが、あのようにいかにもな睡魔が襲ってきたということは出口、或いはアルルヘムテ本人に近づいているという証拠でしょう。
手当たり次第に扉を開けたり、廊下を進みながら懸命に出口を探しました。
そして何度目かの扉を開いた先に彼女はいました。彼女……といっていい姿はしていませんが、かろうじて覗かせる青水晶色の髪と美しい顔は紛れもなくあの令嬢のものです。
それ以外の部分はなんとも形容しがたい姿をしています。全身はあらゆる水棲生物の集合体のようで、鋭く槍のように伸びた角を持った魚の頭蓋骨やワニのような鱗に覆われた尾、巻貝のような捻じれた無数の棘、タコやイカのような吸盤の生えそろった足が何本もあり、人間の部分を境に上半分は避けたように広がった巨大な口になっていて、内部には螺旋階段のように奥まで牙が並んでいます。そして憎悪と怨嗟に囚われるかのように、天井から伸びた7本の赤錆色をした碇のような鎖に繋がれています。
あらゆる水魔の中で最も醜悪な姿とでも言いましょうか。けれど一目で伝わってきます、この化け物は決して人間が触れてはならない禍そのものです。
その証拠に私たちよりも前に囚われた財宝狙いたち、それに喰いついた何体もの水魔、そのことごとくが貫かれて打ち据えられた死体と化しているのです。
咄嗟に扉を閉めて元来た道を引き返しました。もちろん闇雲に走っているわけではありません、私たちの出発点の廊下は二手に別れていました。片方の道がアルルヘムテの餌場に繋がっているとすれば、もう片方は別のなにかが待っているはずです。そもそも餌場に繋ぐだけならこんな複雑な造りをする必要もなければ、屋敷の形をしている意味もありませんからね。
「ルチさん、アルルヘムテ本人には鎖が繋がっていました。あれが追いかけてくることはないでしょうが、他にどんな罠があるかわかりません。精霊虫にも後方の警戒をお願いします」
「わかった、任せる」
「グルルルル」
ルチさんと精霊虫が答えた直後、屋敷全体が天井が落ちてきたかのような重苦しい不気味な気配に覆われました。すると廊下で寝転がっていた海賊の体がぐずぐずに崩れて、そのまま床に染み込んでしまうように飲まれてしまいました。どうやら眠ってしまった者には問答無用で死が待ち受けているようです。
「眠ったらおしまいですね。その時は遠慮なく噛んでくださいね」
精霊虫にも念入りにお願いして、私たちは廊下の反対側へと急ぎました。
「アルルヘムテ、こっちへおいで。今日は兄と一緒にお散歩に出かけるぞ」
「探したわよ、アルルヘムテ。今日は教会に司祭様のお話を聞きに行く日なのよ」
「アルルヘムテ様、お兄様が探していらっしゃいましたよ」
「あらあら、アルルヘムテったら。慌てて走ったら転ぶわよ、まったくもう、お父さんの悪いところばっかり真似するんだから」
「おはよう、アルルヘムテ。早く神様へのお祈りを済ませてきなさい、今日はお前の大好きなパイを焼いてもらったからね」
◆❖◇◇❖◆
どれだけ走ったのでしょうか。肺が張り裂けそうになるほど駆け抜けた先では、狭く質素な薄暗い小部屋が待っていました。そこには夢の中で見た令嬢が身を隠すように部屋の隅で腰掛けていて、怯えるような瞳をじっと私たちに向けています。
どうやら私の勘は当たっていたようです。初めからこちらに進んでいればあの怪物を避けれたのか、あの化け物から逃げることがここに来る条件だったのかはわかりませんが、この令嬢こそがこの屋敷の創造主なのでしょう。
悪夢のような世界で水魔となり、幸せな思い出を繰り返す夢を作った悲劇の令嬢。
「あなたがアルルヘムテですね?」
「あなたたちは誰? あなたたちも酷いことするの?」
「そんなことしませんよ。私たちはうっかり迷い込んでしまっただけです」
私たちは女同士ですし、危害を加えるつもりはないですよと両手を広げて意志を示してみたのですが、あまり意味はなかったようです。よく考えたらあの状況では女からも酷い目に遭わされたでしょうし、女だからこそ穢された女を虐げるという話も珍しくはありませんからね。
「食べる、元気出す」
ルチさんが空気を読まずにアルルヘムテに干し肉を差し出しました。そのお肉、バイソンかツノジカのものですよね? 人間のものではないですよね?
アルルヘムテは干し肉を齧りながら、ぼろぼろと涙を流し始めました。モールディエラ領が存在していたのは何千年も前のことです、親切心に触れたのもそれこそ何千年ぶりかもしれません。それにルチさんは優しい人ですからね、少々食べ物の基準と死生観が一般とズレているだけで。
「ありがとう、親切な人たち。あなたたちのような人には、ここにいて欲しくない」
アルルヘムテがそうつぶやいた瞬間、私たちは水上に浮かべた筏まで戻されていました。そこにあったはずの丸木舟はどこにも見えず、周りを見渡してみてもそれらしい影すら消えていました。
どうやら私たちは餌として相応しくないと判断されたようですね。
「危うく死ぬところでした。ルチさん、私たちは助かったみたいです」
「よくわからない。あの子、なんだった?」
ルチさんは彼女の記憶に触れてなかったんでしたっけ? あんなものは知らなくてもいいことです、むしろ本人も捨て去らねばならないものでしょう。アルルヘムテは人間の悪意に染められてああなってしまいましたが、いつかすべて忘れて安らかな眠りについて欲しいものです。
「今回は散々でしたね、さっさと帰りましょう」
「自業自得、欲張る、痛い目見る」
「うぅっ……反省してますよ」
とにかく今はゆっくりと眠りたい、そんな気分ですよ。
▶▶▶「虹色のマスを釣る話」
≪NPC紹介≫
ボルヴォー・ムルスンスダン
種 族:ゾンビ(男、35歳、属性:風)
体 格:185cm、89kg
クラス:ヴァイキング(レベル26)
移 動:4↑2↓3(歩兵)
HP 腕力 魔力 守備 魔防 命中 回避 必殺 幸運 魅力
現在値 39 19 0 15 3 18 6 9 0 0
【スキル】
【個人】しぶとい男(1度だけ致死ダメージを受けてもHP1で耐える)
【種族】インフェクション(攻撃を受けた時、稀に相手をゾンビ化させる)
【兵種】アトミラール(水上・海上での戦闘時、与ダメージ+4)
【??】
【??】
【??】
【技能】
短剣:E 剣術:E 槍術:E 斧鎚:C 鞭術:E 弓術:C 銃砲:E
体術:E 探索:B 魔道:E 回復:E 重装:E 馬術:E 学術:D
【装備】
ヴァイキングアクス 威力26(7+19/水棲系に威力×2)
ヴァイキングシールド 守備+2、水上地形での戦闘時に守備+6
【所持品(3+5)】
なし
≪エネミー紹介≫
アルルヘムテ
種 族:水魔(女、年齢不明、属性:水)
クラス:水魔(レベル70)
移 動:移動不可能
HP 腕力 魔力 守備 魔防 命中 回避 必殺 幸運 魅力
現在値 80 35 30 40 45 40 0 30 0 0
【スキル】
【個人】悲劇の令嬢(状態異常を付与する際、相手の耐性を貫通する)
【種族】黒い濁流(周囲9×9マス以内の水辺に転移を行う)
【特殊】怪魚の角(固定装備/射程4、攻撃12、命中70の槍での攻撃)
【特殊】黒濁の膜(状態異常・封じ無効、炎属性半減)
【特殊】嘆きの子守歌(マップ上の敵味方全員に自然回復しない睡眠を付与)
【特殊】刻まれし憎悪(マップ上の睡眠状態の敵味方を確定で即死させる)
【技能】
短剣:E 剣術:E 槍術:B 斧鎚:E 鞭術:E 弓術:E 銃砲:E
体術:E 探索:D 魔道:B 回復:E 重装:E 馬術:E 学術:B
【装備】
なし
【所持品(3)】
なし