ヌエの鳴く夜は恐ろしい(第1迷宮3F~5F)

皇帝ノ月18日。
以前、養父上に尋ねたことを思い出した。
「養父上、この世で最も恐ろしい生物はなんですか?」
「……そうだな、一口に恐ろしいといっても様々だが、拙者が思う恐ろしい生き物とはヌエだ。ヌエは恐ろしいぞ、少々地域差はあるが、拙者の耳にしたヌエは大鷲の翼を持ち、胴は8本脚の馬だが、足先は蹄ではなく虎の爪。尾は蛇のようにぬらりと光り、その先には牛鬼の頭が据えられている。首はキリンのように長く、その先に生える頭は鮫そのもの、しかも口を開けば人間の顔が現れるという」
なにやら聞いていたヌエと少々違うような……。
「つまりだ、最も恐ろしいのは人間の持つ恐怖心だ。相手がわからないから得体のしれない怪物を勝手に思い浮かべ、必要以上に怯え恐れる。その心の弱さがヌエとなって現れるのだ。よいか、どんな生物でも首を落とせばいずれ死ぬ、心の像を貫けばいずれ死ぬ、腹を裂いてもいずれ死ぬ……斬ってしまえばよいのだ」
とどのつまりはそういうことだ。恐れるくらいなら斬ってしまえ、そのためにも技は磨けるだけ磨け。事実、その後、まだ幼い私はひたすらに豚を斬ったりしたのだった。

そんなことを思い出したのは、公宮の命で動いた冒険者たちに救出された衛士から、迷宮で起きている異変を聞いたからだ。
先日クロガネさんから聞いた狂ったように暴れる鹿。残念ながら衛士隊はひとりを残して蹂躙されてしまったのだけど、私も含めた冒険者たちの手によって鹿狩りは済み、既に片付いている。
しかし異変は鹿だけではない。そもそも鹿が狂ったように暴れていたのは、樹海の奥に住み着いた百獣の王キマイラが原因なのだそうだ。キマイラの咆哮で上の階層の魔物が引き寄せられ、そのせいで迷宮内の魔者たちの力関係が崩れつつあり、先のような混乱が起きているらしい。要するにキマイラを討ち取れば、状況も多少落ち着いてくれるということになる。
公宮からの指令は既に出され、多くの冒険者がキマイラ討伐に向かっている。その中にはクロガネさんとフロなんとかさんとかいう聖騎士もいるのだとか。

キマイラ討伐か。
我が山田家の家名を売るには丁度いい相手かもしれない。私も流れに乗ることに決めて、まずは戦支度にと交易所に顔を出すことにした。

                    

「浅さん、この前持ってきた大鎌でこんなものを作ってみました! 作ったのはお父さんなんですけどね!」
交易所の看板娘が持ってきたのは泉水なる一振りの刀だ。蟷螂の大鎌を加工してくれと駄目元で言ってみたのだけど、何事も頼んでみるものだ、こんな名刀になって返ってくるとは。刀身は小太刀よりも長く、しかも軽い。羽根のようとまではいかないけど、軽過ぎず重くなく、長く冒険する連れ合いとしては文句無しの逸品だ。
「それとこんなのも作りまして」
もう一振り、黒作大刀という鞘に黒漆が塗られた簡素な刀だ。飾りっ気のない武骨な姿をしているけど、ある意味それが武士らしくもある。刀身は氷のように冷たく、泉水には一歩劣るものの斬れる。予備の刀としては十分な出来だ。
「ありがたく頂戴致す!」
「お金は払ってくださいね」
……そうだろうね。商売上手な看板娘に感心しながら財布を軽くし、ついでにもう少し紐を緩めて薬の類も買い足しておいた。


事実、泉水の切れ味は申し分なかった。我が山田家は罪人の首を刎ねるだけでなく、刀の試し斬りもしていた。罪人の死体を重ねて二ツ胴斬れたら業物、三ツ胴で大業物、七ツ胴までいけば天下一といわれていたけど、泉水の切れ味は業物といっても差し支えない。これまでの小太刀とは明らかに別格だ。
新しい相棒の具合に意気揚々と進んでいると、
「君も冒険者だね? ひとつ伝えておきたいことがあるんだ」
冒険者たちとはまた別でキマイラ討伐に動いている衛士隊のひとりが近づいてきた。
「君も知ってるかもしれないが、ベオウルフもキマイラ討伐に向かっている。彼らはかつてキマイラに挑み、多くの仲間を失った恨みがある」
ベオウルフ……クロガネさんとフロなんとかさんのギルドが、確かそんな名前だったはずだ。
「だが、5人で負けた相手に2人で勝てるとも思えない。ベオウルフのリーダーは、なんていうか、とてもいい奴なんだ。君、見たところひとりみたいだし、彼らに合流して手助けしてやってくれないか!」
おそらく色んな冒険者に似たような話を持ち掛けているのだろうけど、私としてもクロガネさんに死なれるのは忍びない。もしそういう流れになれば手助けしようと答えて、道の先へと進んだ。

しかし流れというものは川のようなもの、望むように流れてくれるとも限らない。
上層5階を奥へと進む私の目の前に、魔物のものとは違う赤い鮮血が点々と落ちている光景が飛び込んできた。人間のもの、であるなら他の冒険者たちのものだろう。おそらく負傷して身を隠しているようで、血の跡は道案内のように奥へ奥へと続いている。
血痕を辿った先で待っていたのは、人間の冒険者ではなくクロガネさんだった。倒れそうなほどの傷を負い辺りを赤く滲ませながらも、クロガネさんは毅然と立っていた。その瞳は私ではなく別の方向に向けられ、足下には1枚の地図が落ちている。
「クロガネさん、その怪我、大丈夫なの?」
「お前か……無念だ、私にもっと力があれば……!」
ありったけのメディカを傷口に掛けながら地図に目を落とすと、ここから先に進んだ広間で途切れていた。この地図はクロガネさんとフロなんとかさんが使っていた地図だろう。そして地図がここで途切れているということは、そこにキマイラがいるということだ。それとおそらく力尽きたフロなんとかさんも。
私は拳を握る指に力を籠め、深く息を吸い込んで覚悟を決める。
「クロガネさん、いいもの見せてやるから、もう少し待ってて」
「……あまり長くはもたないぞ」
それでもメディカに多少の効果はあったのか、傷を治せずとも命を繋ぎ止めることには成功したようだ。
あまり時間は掛けられない。私は駆け足で先へと進み、血の臭いに満ちた広間へと踏み込んだ。

広間の先に待っていた百獣の王は、まさしくヌエのような怪物だった。
頭と体は獅子で、頬からは羊のような角が生え、背には蝙蝠の翼、後ろの足は魚のような鱗で覆われ、尾は毒蛇のように禍々しい。見るだけで怯え竦み、恐怖心で心を折られそうになる姿だ。しかし養父上から聞いていたヌエと比べると、まだ常識的で現実味のある姿をしている。馬鹿げた想像力に感謝をしながら、私はじりじりと間合いを詰めていった。

勝負とは敵が強ければ長引くというわけでもない。時として一瞬で終わるのも、また強者との戦いなのだ。
全身の神経を細く尖らせるように研ぎ澄ませながら、右手を鍔に、左手を柄に添える。刀を振るっていると、時折こういう感覚に陥ることがある。言葉にはし難い感覚だけど、あえて表すならば、どんなものでも斬れそうな感覚。静寂と鳴動の狭間、その僅かな隙間に刀身を滑り込ませて、時間さえも寸断できそうな速さ。
鯉口を切り、目の前の怪物に向けて刃を走らせ、相手の初動より一歩も二歩も速く斬ってみせる。

「一刀流奥義、一閃。居合の型『壷中ノ夢』」

刃はキマイラの獅子頭の上顎から瞳に掛けて通り抜け、分断された頭の上半分は脳漿を飛び散らせながら地に落ちる。最早おおよその勝負は決していた。この状態でもなお動けるのは感心するどころか呆れた生命力ではあるけれど、闇雲に振り回す両の前足は虚しく空を切り、渾身の力を込めた返す刀で胴を真一文字に薙いだ。蝙蝠のような翼は板切れのように宙を舞い、蛇のような尾は乙女の髪のようにはらりと毀れる。
背の上から刃を突き立て、心の像を穿つとキマイラは今度こそ動きを止め、断末魔の叫びの代わりにどぼりと塊の血を吐き出して、そのまま静かに地に伏せた。

「……クロガネさん!」

私はキマイラの頭の上半分を掴んで駆け出し、扉の外で待っているクロガネさんの元へと急いだ。
遠吠えが聞こえる。キマイラの発していた禍々しい圧が消えたことで、仇敵が倒れたことを察したのだろう。その声は悲哀だけではなく、戦士への称賛も混じっているように聞こえた。
重傷を負っているはずのクロガネさんはどこか安らかな顔で待っていて、そっと一言、
「感謝する」
とだけ告げた。私も返すように首級をクロガネさんに差し出し、深く頭を下げた。

「……なんだ、これは?」
「私の故郷では討ち取った首を持ち帰り、武勲を立てるんだよ。戦場では首級の格に応じて恩賞も変わるからね、これは私の手柄だっていう証拠みたいなものかな」
「……なるほど……ならば……恩賞が必要だな」

クロガネさんは一礼するように頭を下げ、自らの首に嵌めていた輪を差し出して、そのまま眠るように静かに目を閉じた。これはキマイラ討伐の報酬代わりなのか、それとも形見として持って行けということなのだろうか。どちらにせよ有り難く頂いておこう。クロガネさんが立派に迷宮に挑んだ証拠でもあるのだから。

私はクロガネさんの亡骸を地面に埋めて、静かに手を合わせた。


浅(山田浅右衛門藻汐)
ブシドー レベル34
<装備>
泉水/黒作大刀、ハードレザーベスト、チェイングローブ、フェザーブーツ
<スキル>
上段:卸し焔
青眼:小手討ち、雷耀突き
居合:首討ち、抜刀氷雪
其他:鞘撃

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