―6―【ミシュコルツベイの沈没船】

世界が不条理なのは今さら言うまでもないけど、それは不条理なりに生きてこれてるから割り切れるのだ、そういう主張をする人間もいる。
世界が気に入らないなら死んでしまえばいいのに、と思ってしまうのは少しばかり暴言が過ぎる気もするけど、かといって依頼内容次第ではそう思わなくもないのが人間という生き物だ。
私は表向きは無職の暇人だけど、実は【死神ヨハネ】として、人を殺してくれという依頼を受けて暮らしている。その大半は復讐や報復で、利益や損得といった邪魔者潰しもそんなに珍しくはない。
だけど時々、受けるのも嫌になるような面倒な仕事も舞い込んでくる。

◀◀◀『……安楽死?』
▶▶▶『そうです。依頼人は孤独死寸前の御老人、安らかな眠りをご希望です』
◀◀◀『病気かなにかなの?』
▶▶▶『持病は高血圧くらいじゃないですかね。待ち合わせ場所にも歩いてきましたし』
◀◀◀『だったら断る。私は仮にも殺し屋だよ。殺せない相手を殺すから殺し屋なのであって、自殺の手助けなんてする意味がない』
▶▶▶『でもねえ、金払いはいいんですよ』
◀◀◀『自殺なんて簡単だろう。首を吊るでも頸動脈を切るでも、飛び降りるでも、飛び込むでも、どうにだって出来る。私が手を貸す必要がない』
◀◀◀『そうですけどね、金額は大きいんですよ』
▶▶▶『百々山君、機械的な返事はやめろ』

仲介人で情報屋の百々山君が持ってきた依頼は、安楽死を希望する老人の手伝いだった。
日本ではまだ安楽死は認められていないので、命を絶つには自殺するか自然死を待つしかないのだけど、体が動かせない難病でもないのだから、その辺は自分で勝手にやって欲しい。或いは自作自演なのがバレバレでもいいから、他人に依頼して形だけでもそれっぽく仕立ててくれないかって話だ。
痛いのとか苦しいのとか嫌だから、自然死したいって気持ちはわからなくはないけど、その気持ちはわかってあげるから私の気持ちも想像してほしい。快楽殺人鬼とかじゃないので、それなりの大義名分と相応の金が必要なのだ。

◀◀◀『あんまり気が進まないから、依頼人と直接話させて』
▶▶▶『いいですけど、受けてくださいよ』

百々山君、さては今月の稼ぎが厳しいな。仲介人の取り分は契約や報酬次第だと思うけど、私との契約は報酬の額に関わらず、きっちり半々。その代わり面倒事は全部押しつけるし、場合によっては百々山君の取り分から人手を出してもらうことにしている。
依頼人と顔を合わせることなんて基本的にしないし、そんなことをする間抜けな殺し屋はこの世に存在しないけど、私は絶対に証拠が残らない手口、というよりは証拠もなにも勝手に自然死してくれる伝染病を使うから、顔を合わせたところでリスクはほとんどない。あるとすれば余計な疑いを掛けられる可能性がわずかに増えるくらいで。


「あの、一切の痛みも苦しみもなく、眠っている間に安らかに死ねると聞いたんですが……」
喫茶店の奥の席に腰かけた依頼人の老人は、痩せ衰えたネズミみたいな印象の、そんな弱弱しくて小さい老人だった。
150センチと小柄な私よりも更に小さく、吹けば飛ぶどころか押せば転がり落ちるような頼りなさで、今までどうやって生きてきたのだろうと不思議に思わせる程に、小さく縮こまって俯いてるような、そんな空気を纏った老人だ。
だからといって不必要に見下げたりも見下したりもしないけど、もし自分がこのくらい年を取ったら、その時は誰にも接することなくひっそりこっそり老いさらばえよう、と素直に思ったりした。
「で、じいさん、なんで死にてえんだ?」
私の隣に腰かけるジンベエ君が、不躾に問い掛ける。依頼人と会うのは初めてだし、私の究極的に影の薄い体質が災いして、そのまま気づかれなかったらまずいので、誰か暇そうな人を護衛兼目印として寄越して欲しいって頼んだのだ。まさか送られたきたのが、殺し屋の頂点【鮫】のひとりだとは予想外だったけど、ジンベエ君は背も無駄に高くて目印にはちょうどいいので、人選としては間違いではない。喫茶店の椅子を壊しかねないくらい太っている百々山君が来るよりは正解に近い、なんせ椅子が壊れる心配がないし、通路を塞いで邪魔になることもない。
敬老精神のない人間性は完全に選択ミスだけど。

「私もねえ、まあ年だけは無駄に取ってますから色々あったんですが……簡単にいうと怖くなったんです」
老人はかつては裏社会の住人だった。彼らの言葉を使うなら地下生活者というのが正しい。
地下に潜んで様々な裏稼業を営んでいた老人は、それはもう中々に強烈な荒くれ者として肩で風を切っていたらしい。追い込んで死に至らせた人数も決して少ないとはいえず、当然恨みの数もそれに比例するように増える。なので随分前に地下暮らしから足を洗い、しばらくの間、地方の田舎でひっそりと人目を避けて生きてきたのだけど、最近自分の死期を悟って戻ってきたのだという。
「ということは、ご病気かなにかで?」
なんだ、百々山君め。ちゃんと理由がありそうじゃないか、それを差し引いても自分でどうにかしろって思うけども。
「いえ、病気はまったく。至って健康です」
なんだ、百々山君め。正しい情報を伝えてたんじゃないか、やっぱり自分でどうにかしろって気持ちが一層強くなる。
「死にたかったら自分でどうにか出来んだろ? なんで余計な金掛けてまで依頼してきたんだ?」
ジンベエ君が私より先に素直な疑問を投げかける。そう、それ。私もそこが気になる。死期を悟って、っていうのも気にはなるけど。
「だって痛いのとか怖いのとか、嫌じゃないですか。稼業が長かったせいか、ふっと死ぬ間際の人間の顔が思い浮かぶようになって……あの顔を思い出すと絶対に痛いのとか怖いのとか嫌だと、強く思うようになったんです」
こんなに虫がよすぎる話も中々出くわさない。この場合の虫は、益虫か害虫かでいえば確実に害虫だけど。
「自殺とか怖いじゃないですか。首吊りとか切腹とか、飛び降りとか、飛び込みとか、焼身とか、どれも痛そうだし、勇気がいるし。かといって服毒も苦しそうで、ああ、恐ろしい……」
「なんか引き受けてもいいような気がしてきた」
「そうかぁ? 俺は馬鹿らしくてほっとけって気分になってるが」
こんなに身勝手で惨めで情けない悪党、世の中のためにも生きているべきではない、という気持ちが少し湧いてきた。自分が他人の価値を評価できるような上等な人間だと思わないし、隣に座るジンベエ君だって功罪でいえば圧倒的に罪、善悪でいえば紛れもなく悪、居るべきか否かでいえば消えた方がいいに違いない類の生き物だけど、まだ矜持とか堂々とした振る舞いとか、そういうものがあるので。

「では、あの、私に絶対に悟られないようにお願いします。ああ、今夜死ぬんだとか考えてしまったら、眠れなくなって苦しいので」
「うわー、めんどくさい」

情けない上に図々しい注文まで付け足してきた。ただでさえ安楽死させてくれなんて図々しいお願いしておいて、さらに気づかれないようにとか、本当にめんどくさい。
私の与り知らぬところで、隕石に当たるとか餅を喉に詰まらせるとか、背後からダンプカーに突っ込まれて壁とサンドイッチされるとか、そんな非業の死を遂げて欲しい。だって、めんどくさいから。


「ジンベエ君、これはあれだよ。予期しない絞首刑のパラドックスってやつだ」
「なんだ、それ? とりあえず首でも絞めたらいいのか?」
「例えば今週中にあの老人を死なせるとして、今日が月曜日だから、タイムリミットを週末の日曜日とするでしょ。仮に日曜日に死なせるとしたら、土曜日まで生き残った時点で日曜日がその日だって気づかれてしまう。よって日曜日は除外する。その理屈でいくと、金曜日になれば土曜日は決行日だと予測できるから土曜日が除外されて、同じ理屈で金曜日が、木曜日がって除外していって、結局どの日にも殺せなくなるわけ」
あくまでも理屈をこね回す思考遊びでしかないし、別に悟られようと悟られまいと私には関係ないんだけど、私のお人好しの部分なのか、それとも死神としての無自覚なプライドなのか、どうにか悟られずにやれないものかと悩んでしまったのだ。
しかしジンベエ君の返事は、予期せぬ簡潔明快なもので、
「そんなもん、いついつ殺すからそれまで余生を堪能しとけっつって、あのジジイすぐには死ぬそうにねえから例えば3年後とかに設定しといて、油断したところをぶち殺してやれないいじゃねえか、明日明後日くらいで」
「良心の欠片もないけど、その手で行こう」
私もこれ以上考えるのがめんどくさいので、その案を採用することにした。


「そういうわけで、3年後くらいに死なせるんで、それまではのんびり羽を伸ばす感じで過ごしてください」
「うわあああああ、3年後に死ぬんですかぁ! 嫌だぁ! 怖いぃ! 死にたくないぃ! でも安らかに死にたいぃぃ!」
なんてめんどくさい老人だ。こういうのを本当の意味での老害っていうんじゃないだろうか。
「いいですか、おじいさん。人間はいつか死ぬんです、でも今日明日死ぬわけじゃないんで、恐れないでください」
「あなたみたいな20代前半の若いお嬢さんにいわれても、説得力がないんですよ! だって無いでしょ、リアルに死を考えたこととか! 私みたいに70過ぎたらですね、何回もあるんですよ! 死がリアルに迫ってきてるんですよ! 若者にはわからないでしょうがね!」
年齢マウントまでしてきた、なんでこんな謎の説教されなきゃいけないんだろ。私、なにか間違ったことしたかな。殺し屋っていう仕事が間違いと言われたら、それはもう、ぐうの音も出ない意見だけど。
「そもそも殺す側が恐れないでくださいって、どういう気持ちで言ってるんですか! あなたが殺そうとしなければ、私は死なないんですよ! なのに、死の宣告をするなんて、どういう神経してるんですか!」
ああ、もう、めんどくさい。ジンベエ君、代わりに今すぐ撲殺してくれないかな。
おい、鮫、今こそその凶暴性の出番だぞ。なんて考えながら隣の席に視線を向けると、俯いて腹に手を置いて苦笑している。なにがツボに嵌ったのかわからないけど、こっちは笑い事じゃないんだよ。
「……じゃあ、殺さないんで、安心してください」
「うおおおおお! 生きる、生きるぞー! でも安らかに死にたいなあ……」
ほんとにやめようかな。帰ってビール飲んで考えることにしよ。

◀◀◀『もうやだ! 今回の仕事、キャンセル!』
▶▶▶『え? 仕事完了したんじゃないですか? 依頼人、もう死にましたよ』

翌日、百々山君にメールを送ったら、予期せぬ返事が帰ってきた。
詳しく話を聞いてみたところ、件の老人は恐怖に耐えかねて浴びるように酒をあおり、べろんべろんに泥酔したところを近所の公園の水路に嵌って、そのまま頭を打って眠るように入水、ほどなく溺死したらしい。
結果として依頼人の望み通りの、眠っている間に安らかな死を迎えたのかもしれないけど、私からするとどうにも納得いかない、例えるなら快晴の日に急な通り雨にあったような、煙草の吸殻も落ちてない道で犬のうんこ踏んだような、腑に落ちない不快感を残したのだった。

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