火事場泥棒とサラマンドラ(第2迷宮6F~8F)
笛鼠ノ月2日。
キマイラの縄張りを抜けると、そこは別世界だった。
第二層に拡がる迷宮【常緋ノ樹林】は、晩秋の山々の様な真っ赤に染まる密林の迷宮だ。鮮やかな紅葉のような樹木があちらこちらで生い茂り、常に燃えているかのように錯覚してしまう風景は、階段の下とはまるで別世界。
しかも涼しい紅葉の季節と違って、真夏よりも暑く梅雨よりも蒸せる森の中は、立っているだけでもじわじわと体力を奪っていく。おまけに場所によっては鋭い茨や棘が床や壁を覆い尽くしているので、通り抜けるだけでも切り傷や刺し傷が絶えない。
要するに厄介な場所だ。とはいえ、やることは特に変わらない。慎重に用心深く進みながら魔物と遭遇したら斬り伏せ、剥ぎ取った素材を荷物袋に放り込み、迷わないように地図を書いていく。
変わったことがあるとすれば妙に知恵のあるゴリラが加わったことで、薬草や素材になりそうな植物の見分けがつくようになったことと、
「……くさっ! 治るのはいいけど、この臭いどうにかならないの?」
「だったら怪我などするな! この脆弱な人間め!」
ゴリラの唾液にメディカと似た成分があるらしく、回復薬の節約が出来るようになったことくらい。暑さと臭いで気絶しそうになるけど。
「どうだ、魔物共め! これがゴリラの力だ!」
丸太のような腕から繰り出される大岩のような爪が、怪しく動く石像の頭を叩き割る。続けて暴れ回る猪の牙を圧し折り、屈強な駝鳥をも薙ぎ倒していく。
並々ならぬゴリラの膂力は樹海の魔物相手にも十分に通じるようで、単純な戦力はこれまでの倍。倍は言い過ぎだ、7割、いや、5割増しくらい。このくらいの戦力が並んだら迷宮攻略も楽になるだろうけど、闇雲に頭数を増やせばいいというものではない。足手まといは必要ないし、蛮勇や未熟で死んだ者の命なんて背負うつもりはないのだ。
「うおおおおっ!」
ゴリラが胸を叩き鳴らして勝ち名乗りを上げている。いいぞ、ゴリラ。その調子だ、ゴリラ。傍から見てると魔物にしか見えないけど。私は茂みから飛び出してきた白い大猿の腕を斬り飛ばしながら、心の中で真っ黒い大猿に称賛を浴びせた。
汗と唾液と返り血で酷い姿になった私たちの前に、むせ返るような森の香りに混じって、ただならぬ殺気と威圧感が流れてきた。階段の向こうには、これまで戦ってきた巨大な蟷螂や百獣の王よりも遥かに格上の、それこそ桁違いに強力な魔物がいて、自らの存在と力を隠そうともしていないことがわかる。
「なあ、浅。この先に進むの止めないか?」
野生の獣だけあって危機を察する感度が人間よりも敏いのか、ゴリラはぶるぶると身を震わせている。気持ちはわかるけど、先に進まなければ道は開けず、天に浮かぶ城を探すなど夢のまた夢。ゴリラの背をべちんと叩き、勇気を振り絞って階段に足を乗せたその時、
「待ってくれ! 待ってくれ!」
上層から鎧のあちこちが焦げた衛士たちが降りてきた。衛士は私たちの姿を見て安堵したのか暑苦しい鎧を脱ぎ捨てて、あちこちに火傷を帯びた姿を晒す。痛々しい様子に思わずゴリラに舐めさせようかとも考えたけど、ゴリラも一応は女。見知らぬ男共を舐めたくはなかろうと、代わりにメディカを傷口に掛けてやることにした。
「ああ、ありがとう。いやー、死ぬかと思ったよ!」
「俺たちはこの先を調査していたんだけどね、情けないことにこの有様さ!」
火傷が癒えたことで活力も湧いたのか、衛士たちは意外と元気そうだ。このまま自力で帰ることも出来るだろう。よし、じゃあ先に進むかと足を踏み出そうとすると、
「君たち、俺たちが町に帰るまで同行してくれないか。見ての通り鎧も武器も駄目になってしまってね」
「おまけにメディカも糸も失ってしまった。帰ろうにも帰れなくて困ってたんだよ」
「謝礼は弾むから! なあ、お願いだよ!」
衛士たちに護衛を頼まれてしまった。困った人の頼みを断るわけにもいかない、念のためゴリラを一瞥すると、握り拳から親指を突き出して賛成の意を示している。それもそうか、こいつさっきまで怯えてたもんな。
「わかったよ。私からあまり離れるなよ」
「ああ、報酬は公宮の詰め所で受け取ってくれ。その前に風呂に入ってくれよ、なんか酷い臭いだから」
「……見捨ててもいいんだけど?」
私たちは鼻を摘まむ衛士たちに呆れながら、来た道を引き返すことにした。
まさか報酬のついでに厄介な頼まれ事が増えてしまうとは、この時は思いもしなかったのだ。
「公宮はなんだって?」
「えーとね、簡単に説明すると、この国のえらい人、大公様が重い病を患っているらしくて、それを治すのには火トカゲの羽毛から作った秘薬が必要なんだとか。で、その羽毛が何処にあるかというと、8階に巣食う幻獣サラマンドラが脱皮した時に残るらしくて。つまり……」
「つまり?」
剛莉羅が嫌な予感を察知したのか、目を細めて厳つい顔を更に凶悪な相貌に変化させる。
「サラマンドラの巣の何処かに落ちてるはずだから、拾ってきてくれってさ」
「おいおい、人間は馬鹿なのか? やめとけやめとけ、死ぬぞ!」
このゴリラの意見も尤もだ。階下でも感じたあの威圧感、仮に全身重装備の軍隊を向かわせても太刀打ちすら出来る気がしない。おそらく全員消し炭になって、遺体どころか遺髪の1本も戻ってこれないだろう。
しかしそれは大軍で目立つからとも考えられる。少なくとも調査に向かった衛士隊は、羽毛の存在を確認できる距離まで近づき、無事かどうかはさておき情報を持ち帰っている。見つからないようにこっそりと忍べば、羽毛を手に入れる機会も訪れるはずだ。
「私に妙案がある」
「お前の案ほど信用できないものはないが、聞くだけ聞いてやろう」
話のわかるゴリラだ。私は徐々に悪くなっていくゴリラの顔色を無視して、危険と紙一重の作戦を話してやった。
作戦はこうだ。
小柄な私はともかく、ゴリラはなにをどうしたって目立つ。であるならば、あえて目立ち過ぎる図体を利用して、さも何の危害も加えない善良な野生動物ですよという様子でサラマンドラの視界の端でも横切ってもらい、注意を引き付けている隙に反対側から近づく。獣は逃げる得物をとりあえず追いかけてみせる習性があるので、私が一定以上近づいたらサラマンドラから逃げるように走ってもらう。都合よく気を引いて動かせたら、空き巣でもするように羽毛を盗む。動かなければ諦めて帰る。作戦は以上だ。
「お前、あとで覚えてろよ」
安心しろ。私が羽毛を持ち帰って勇名を轟かせた暁には、偉業の陰にゴリラの犠牲ありと語ってやるから。自伝を記す際にはゴリラの中のゴリラ、彼女こそゴリラ界いちの英傑だったと、なるべく良い感じにでっち上げてやろう。
「よし、それじゃあ羽毛泥棒に行こうか」
「お前、あとで覚えてろよ」
くどい。死んだら骨は拾ってやる、拾う骨もないくらい炭化してたら諦めてくれ。
「あれがサラマンドラ……思った以上にでかいな」
サラマンドラは想像以上に巨大なトカゲで、岩壁の向こうにいるはずなのに突き出した上半身は、それだけでも優に私の背丈の数倍以上はある。装甲の様な分厚いエリマキからは常に高温の蒸気を噴き出し、口元では赤々と炎が揺らめている。おそらく敵だと認識された時点で炎を吐かれて終わるだろう。よし、諦めて帰ろうと体を反転させようとしたら、ゴリラがサラマンドラの足元を指差した。
「おまけに余計なトカゲが2匹もいるぞ」
サラマンドラの迫力で見逃すところだったけど、サラマンドラの縄張りにかろうじて入っていないのか、それともトカゲ同士うまく見逃してもらっているのか、サラマンドラほどの威圧感はないものの、それなりに凶悪そうな真っ赤なトカゲが2匹、左右に分かれてうろうろと徘徊している。赤いトカゲの動きには一切興味が無いのか一瞥すらすることなく、おそらくあのトカゲの位置までは近づいても大丈夫そうだ。
「よし、お前はあっち側からサラマンドラを引き付けてくれ。私はその隙に盗んでくるから」
「わかった」
私はなるべく身を低くして赤いトカゲに近づき、徘徊するトカゲとサラマンドラに挟まれないように慎重に近づいていく。私のすぐ真後ろでは、真っ黒い図体を同じように屈めたゴリラが、やはり慎重になるべく静かに追いかけてくる。
「なんでお前もこっちに来てんだよ!?」
「怖いからに決まっているだろうが、馬鹿が! 大声出すな、死ぬぞ!」
思わず怒鳴った私に反応したのか、ゴリラの咆哮が耳障りだったのか、サラマンドラはゆっくりと目玉を動かし、大岩でも動かすかのように地面を摺りながら向き直った。そのまま巨大な前足を持ち上げて、ゆっくりと鈍重に、しかし着実に私たちへと向けて巨大な体躯を進めてきたのだ。
「逃げろ!」
「おうよ!」
私たちは徘徊する赤いトカゲを避けるように走り、後方から響いてくる地鳴りのような音に恐れをなして、今にも泣きそうになりながら駆け抜けた。それが偶然にも岩壁を軸に、サラマンドラと位置を入れ替えるような形になり、半ば偶然とはいえ門番の居なくなった巣へと飛び込むことに成功した。
立っているだけで目に染みる煙と、吸い込むだけで喉の奥まで焼けてしまいそうな暑さの中、焼け焦げた草むらの奥に意識を向ける。涙で滲む視界に七色に輝く羽毛と草を掻き分けて進むゴリラの姿を捉えた瞬間、考えるよりも先に足が動いた。
このまま巣にいたらサラマンドラに追いつかれる。そう本能的に察した私は羽毛のある巣の奥ではなく、入り口へと身を翻し、サラマンドラの注意を引き付ける。破城槌の様な尻尾を避けながら地面を転がり、ゴリラが羽毛を掴んだのを視界の端で確かめると、道具袋から糸巻きを取り出してゴリラに駆け寄る。
眼前ではサラマンドラが口いっぱいに炎を溜めて、今にも吐き出そうとしている。あの炎が毀れたら最期、私たちに待っているのは確実な死だ。しかし危機と好機は紙一重。炎を吹くために動きが止まり、両の前足はしっかりと大地を掴み、尾は楔のように岸壁に突き刺さっている。炎を吹くその時だけは奴の動きも止まるのだ、この機を逃すわけにはいかない。
「巻き取れ、アリアドネ!」
悲鳴に近い合図と同時に掌中の糸巻きが高速で回り始め、目の前に迫る炎よりも速く私とゴリラの体を動かした。動かすというよりは無理矢理引っ張った形に近い。目まぐるしく通り過ぎる景色に悪酔いしそうになりながら、遠ざかっていくサラマンドラの背と山火事ほどの業火を見送った。
このアリアドネの糸という道具は、ハイ・ラガードの町まで細く長く繋がっている、その名の通り糸の形をした代物だ。正確には携帯式の糸巻きと町に設置された巨大な糸巻きとの一対の道具で、仕組みも材質も不明だけど一瞬で町まで手繰り寄せてくれる。瞬間移動というよりは高速移動に近く、どんな絶望的な場所からでも救出してくれる。冒険者たちにとってはまさしく命綱に等しい逸品だ、糸だけど。
少々危険な賭けではあったけれど、あの場では最善で最良の選択肢だった。すべての足と尾を固定したサラマンドラでは叩き落とすこと叶わず、糸は私たちを高速で引き上げて、寸でのところで炎から逃がすことに成功したのだ。
今回ばかりは一か八かだった。もし恐怖のあまりもっと早く使っていたら、空中で無防備なところを叩き落とされていただろうし、もう少し遅かったら全身火だるまになって、今頃地獄巡りの真っ最中だったに違いない。
これだけの危険を冒したのだ、公宮からの報酬はきっと山のような金銀財宝に違いない。町の入り口に転げ落ちた私は、安堵とちょっとした欲で思わず笑みを浮かべ、ゴリラは呆れたような冷たい視線をぎょろりと向けてきた。
煤だらけの顔を拭いながら公宮に向かい、火トカゲの羽毛を渡すとえらく感謝された。感謝の言葉と謝礼の額にちょっと開きがあり過ぎる気もするけど、なにも貰えないよりは全然マシだ。
ありがたく報酬を頂戴し、ついでに大公様へのお見舞いの言葉を告げて、ひとっ風呂浴びるために宿へと向かった。
浅(山田浅右衛門藻汐)
ブシドー レベル39
<装備>
モノホシ竿/黒作大刀、ウイングブレスト、まだらの手袋、フェザーブーツ
<スキル>
上段:卸し焔
青眼:小手討ち、月影、雷耀突き
居合:首討ち、鎧抜け、抜刀氷雪
其他:鞘撃
剛莉羅
ペット レベル30
<装備>
ヘルズクロー、炎の首輪、脱兎のお守り、力の指輪
<スキル>
攻撃:アニマルパンチ、丸齧り
回復:傷舐め
探索:野生の勘