―1―【オメラスの地下牢】

廃墟は嫌いだ、時間が止まってるから……
廃墟は嫌いだ、世界に取り残されてるから……
廃墟は嫌いだ、馬鹿と悪党ばかりが集まるから……

だけど今、そんな嫌いな廃墟の屋上で、呑気にダンボール敷いて寝転んで星空なんか見上げている。
コンクリート1枚隔てた下からは地獄の亡者みたいな、奈落の住人のような、悲鳴にも慟哭にもはたまた絶望にも似た叫びが聞こえてくるけど、下で行われてることに興味はないし、助けようとも罰そうとも思わない。私たちの仕事はここでじーっと座ったり寝転んだりして時間を潰して、24時間ここに居続けることなのだ。
そう、私たちだ。すなわち私だけではない。
私の仕事はここに居続けること。
もうひとり、どうしても仕事をご一緒したいと申し出た凶暴な【鮫】の仕事が、廃墟の外へと出たどうしようもない奴を始末すること。

鮫っていうのは、鮫と呼ばれているけど、いわゆる海で泳いで人でも魚でも手当たり次第に噛みつく、あの鮫ではない。
人間相手の殺し屋の最高峰、この世界ではそいつらが【鮫】って呼ばれてる。
もしかしたら私も鮫だと思われているのかもしれないけど、私は鮫みたいに凶暴でもなければ獰猛でもない。どちらかというとストロベリーフラペチーノを啜るような、ゆるふわ女子大生みたいな生き物なのだ。実態は女子大生でもなければ、なんだったら小学校すらまともに通ったこともないけど。なんだったらどころか、大いに難ありだ。

(……よく考えたら、あいつらよりも学歴下なんだよな)

一瞬、頭の中に屋上まで上がる途中で見えた馬鹿そうな連中の姿が浮かぶ。
下半身と拳以外は人間っぽく見せるためのおまけ、そんな連中でも義務教育くらいは終えているし、案外いいとこの大学なんかも出てたりするのだ。大学に行けるくらい恵まれた家庭に生まれたくせに悪の道に走るなんて、どうしようもない生き物だなって思うけど、そんなのは珍しくもなんともない。よくある話だ。
そして、そんな救いようのないアホが謎の死を遂げたり、謎の失踪を遂げたり、謎の変死体となって発見されるのもまた、よくある話だ。
「まあ、別にどうでもいいんだけど」
上着の袖を捲って腕時計に視線を落とす。
この廃墟に入ってから、かれこれ23時間と50分強。下の連中は飽きもせずに盛りのついた猿みたいに、拉致した得物相手に腰を振り続けたり、拳を振り回したりしてるわけだけど、そのエネルギーをもっと有意義なものに使えとは言わない。奴らにそんなチャンスは訪れないのだ、もう二度と。

「……5……4……3……2……1……ゼロ」

世界から音が消える。
実際には世界全部ではなく私を中心とした半径30メートルの世界、そこにあった音がすべて消えるのだ。足音、吐息、悲鳴、心臓の音、ありとあらゆる生命の音が消えるのだ。
つまり死ぬということだ。

自分を中心に半径30メートル以内で24時間離れず過ごしたものを自然死させる、それが私の抱えている正体不明の伝染病だ。

この病気は普通に生活するには不便で仕方ないけど、仕事となると結構便利で、ぼーっと過ごすだけで何もしなくても標的が死んでくれるのだ。手を下す必要もなく、武器を使う必要もなく、殺意を抱く必要すらなく、おまけに証拠もなにも無いのだから、そんなものが残るはずもない。
この足のつかない殺しの伝染病のおかげで、いや、殺しの伝染病のせいで私は鮫をも上回る殺し屋と噂されているらしい。
【死神ヨハネ】、これが私の名前だ。本当の名前は魚の骨と書いてギョホネっていうんだけど、呼びづらくてしょうがないのと不思議と全然覚えてもらえないという理由で、私もギョホネと呼ばれて良い気はしないから、ヨハネという名前で通している。
ちなみにギョホネなんて名前が受理されるはずもないので、戸籍上の名前は魚と書いてイオ。ちなみに苗字は共食と書いてトモハミ、名前のせいで目立たないけど苗字もそこそこに酷い。
そんな物騒な苗字に魚とか魚の骨とかつけようとするセンス、私の親は魚好きで仕方なかったのか、それとも頭が相当におかしかったのか、或いは歪んだタイプの自己主張だったのか、随分と前に殺しの伝染病が原因で死んでるから今となっては知る由もない。考えようによってはメガピラニアとかにしなかっただけ、まだ良心とか常識とかあったのかもしれない。共食メガピラニアなんてZ級映画でしか目にしない名前だ。
変な名前だなって落ち込むターンは十年以上前に通過してる。むしろ今は、ヨハネって通り名がキリスト教の聖人みたいなイタリアン髭モジャ男を想像されたり、狂信的なガリガリ頬こけ薬物中毒アメリカンと決めつけられたりして、まさか小柄な地味系女だとは誰も思わないみたいだから都合がいい。

「さて、一応確認しとくかな」

すっかり静まり返った廃墟をのっそりと降りていき、廊下に転がってる全裸の男とか股と尻から結構な出血をしてる全裸の女とか、ご丁寧に山奥の廃墟で見張りなんてしてた下っ端とか、妙な臭いのする部屋で倒れてる薬中とか、おそらく元々住み着いてたホームレスとか、そういったさっきまで息をしていた生き物たちの死体を横目で眺めていく。
それにしても24時間きっかりで死んでくれる、この個人差も体格差も年齢差も一切関係なく命を奪う、理不尽極まりない伝染病は今日も抜群の殺傷力だ。病源であり続ける限りは、死神ヨハネとしての稼ぎは安泰だろう。なんせ世の中は基本的には大監視時代、監視カメラにSNSに人の目にドローン、今は世界的に流行している疫病のせいで人の目は少なくなってるものの、それを除いても監視の目は多い。だけど、触れずとも勝手に死んでしまう分には監視カメラがどれだけあろうと、仮に衆人環視な状況であっても、そんなの一切お構いなしだ。
おそらく今後も死神ヨハネへの依頼は無くなることはない。仲介人を勤めるデブの情報屋がうっかりデブ過ぎて死んだりとか、市場価格の大幅な値崩れとか、そういうことがない限りは。

「ジンベエ君、帰るよー」

廃墟のすぐ近くの森の中に身を潜めている鮫に声を掛ける。
その鮫は背が高くて、むしろ縦に長くて、ぼっさぼさに絡まった櫛が折れそうな鳥の巣みたいな髪や無精髭と併せて、気怠そうな相貌に妙に馴染んでいる。
彼は私の限りなく少ない交友関係の中でも古い部類で、かれこれ4年程の付き合いになる。といっても友人でもなく、知人というには毎回忘れられて、初対面のように新鮮な挨拶を交わす間柄だけど。
そう、私は昔から究極的に影が薄く、目の前で話しかけてるのに中々気づいてもらえないくらい存在感がない上に、数秒も経てば忘れられてしまうくらい記憶に残りにくいらしい。これはもしかしたら私のせいではないのでは、と思うのだけど、今のところ100人いれば100人がきっちりかっちり私を忘れてしまうので、どうやら私のせいみたい。
そのせいで何度か声を掛けた末に出てきたジンベエ君が、お前誰だっけ、みたいな顔してるけど、もう慣れっこなのでそんなことは気にしない。

「街に戻って居酒屋でも行こう」
「ああ? かれこれ30時間も起きてんだぞ、とっとと帰って寝てえ」
「仕事した後は経済ぶん回すことにしてるの」

めんどくさそうに欠伸をしているジンベエ君の横で、私は右腕を肩からぐるぐると回してみせる。
ちなみにジンベエ君と呼んでいるけど、年齢は私より一回りは上のれっきとしたおっさんで、そうそう気軽に呼べるような相手ではない。なんせ凶暴な鮫だ。他の人なら口の利き方を間違えた瞬間に、ばくっと噛みつかれかねない。噛みつくっていうのは比喩で、具体的には目玉を抉るとか喉を潰すとか心臓を刃物で突くとかそういう行為で、どこまで本当かわからないけど、以前調子に乗った同業者の両手に刃物を突き立てて、虫の標本みたいに壁に固定して、背中に彫られた生意気な仁王の刺青を肉ごと剥ぎ取ったのだとか。はっきり言って人間のやる所業ではない、ミンチにして魚の餌にでもする方が、まだ幾らか道徳的だ。
だけど、私にはそういう悪意は通用しない。理由は知らないけど、そういうことになってる。
どういうわけか昔から危害を受け付けない体質なのだ。例えば鈍器を投げつけようとしても変な方向に飛んでいくとか、包丁で刺そうとしても刃が柄から外れるとか、首を絞めようとしても腕の筋が断裂してしまうとか、拳銃を使っても弾が出なくなるとか。当然、自殺も自傷も出来ないことも確認済み。勝手に人は死なせるくせに、自分はどうやっても死ぬことが出来ないのは、悪い冗談を超えて悪夢に近い。
まあ、だからといってタメ口はどうかと思うかもしれないけど、私みたいな学のない小娘に怒るエネルギーがあるなら、もっと有意義なことに使うべきだ。草むしりとかゴミ拾いとか。

「しかし、ほんとになんにもしなくても殺せるんだな」
「前も一字一句違わず同じこと言ってたけどね」
「……あー、そういえばそうだった。だったら次は、こう言ったんだろうよ。『俺は業界最高峰の技術をお目にかかれる、しかも俺より一回り以上年下のガキがそんな技術を持ってるなら、一体どんなえげつない技を見せてくれるんだろうって期待してたのに、ただ森の中でずーっと突っ立てたわけだ。なんていうか、人生のなんか大事なものを棒に振った気分だ!』とかなんとかってなあ」
「おおー、シチュエーション以外、一語一句一緒だよ。ジンベエ君、変わんないねー、っていうか進歩しないねー」
「うるせえ。なんだよ、その便利な能力。くれ! 寄越せ! 俺が有効活用してやる!」

その要求も何度か通過済みだ。欲しがる気持ちはよくわかる、この伝染病があるだけで、別に格闘技をやってるわけでも武器の訓練を受けたわけでも、身体能力が高いわけでもない、頭もそれほど賢くない私みたいなのが、鮫を上回ってしまうのだから。
だけど、はいどうぞって渡せるようなものでもないのだ。あげれるもんならあげたいところだけど、この病気はいつまでも私から離れてくれない。
それこそ一生、影のように付き纏い続けるんじゃないかって思ってる。

「いくら丼でも奢ってあげるよ」
「ガキに奢られるほど落ちぶれてねえよ」
「じゃあ、代わりにゴチになってあげよう」
「断る」

まったく、素直に奢られるか奢るかすればいいものを。
私は溜息に似た息を吐き出して、それから3時間ほど延々と歩き続けて繁華街に戻り、疫病による緊急事態宣言とやらのせいで何処も開いてないことに気づいて、惨めに公園ビールでひとり乾杯したのだった。
ジンベエ君は薄情者なので帰った。夜の公園に若い女を一人残すなんて、まったくもって非常識な鮫だ。常識のある真っ当な人間は殺し屋なんてしない、と言われればそれまでだけど。

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