桜の花の満開の下で(第4迷宮16F~18F)
笛鼠ノ月25日。
氷姫スキュレーを打ち倒した先に待っていたのは迷宮第四層【桜ノ立橋】、その名の通り満開の桜が咲き乱れる美しくも心乱される場所だ。私の故郷では、桜は狂い花とも呼ばれていて、狂人が現れるのは桜が美し過ぎるからだなんて説を唱える学者もいる。狂人代表の義姉なんかは桜の下には死体が埋まっている、とよく言っていた。人間の血を吸って白い花を赤みを帯びた桜色に染めているのだと。
そんな桜が満開の場所、幻覚のひとつやふたつ見ても不思議ではない。私とゴリラの前に突然、大鷲のような翼の生えた人間みたいな生き物が現れ、全能なるぬふーがどうとか父母なるいしやがどうとか、なんだかよくわからないことを語りかけてきたのだ。
「医者でも探してるのかな? あいにくうちのギルドにメディクはいないけど」
私のギルドにいるのはブシドーの私とゴリラの剛莉羅だけだ。ゴリラの臭い唾液には傷を癒す効能があるから、怪我人くらいなら診てあげられなくもないけど。
「奇怪な生き物だったな。有翼人とでも名付けておくか」
お前の方が奇怪な生き物だよ、とゴリラに思いながらも、どうやら幻覚でも幻聴でもなかったことを確かめて、花見がてら桜の回廊を進んでみることにした。
「……? なんか変な感じだな」
奇妙なのは桜や有翼人だけではない。なんていうか、足下が心許ないというか大地を踏みしめている感覚が薄い。一番近いのは橋の上を渡る時の、歩く度に地面が僅かにたわむような感触に近く、大地に似せた板の上を歩いているような気分になってくる。もしかしてと思って桜の木に登り、ついでに木の上から襲い掛かってきた蜂や雲を斬り捨てて枝に飛び乗り、小型の望遠鏡を覗いてみると木々の向こうには青い空が広がっていた。世界樹の上層にあるのだから外に空があるのは当たり前なんだけど、これまでは世界樹という巨大な樹の中に迷宮が存在していた。でもこの場所は世界樹の中ではなく、木の幹の上、いわゆる枝葉の部分にあるようで、迷宮を形作る石壁や石畳が地面のない場所に築かれている。もしやと頭上を見上げてみると、遥か上空に石の塊が幾つも浮かんでいた。
どうやら第四層は天に浮かぶ城に続く空中回廊のような場所で、この景色を目にしてしまうと先の有翼人と併せて、城は本当にあるんだろうなと期待してしまう。天に浮かぶ城、どうやらそこに住人は居そうだけど、城というものはいつしか誰かに奪われるもの。そうなったとしても私を恨まないで欲しい。
期待に胸を躍らせながら鳥や虫の姿をした魔物を斬り、ようやく18階まで進んだところで、扉の向こうに尋常ならざる嫌な気配を感じた。先の有翼人でもなければ、魔物の類とも違う。もっと純然とした、桜の木の下の死体のような、人間だけが放つ独特の邪気。
喉の奥で鉛を飲み込むような不快感を堪えながら扉を開き、邪気の方向に踏み出すと、通路の先の突き当り。よく見るとそこだけ桜が咲いているものの、まるで斬られるのを怯えて微動だに出来なくなっている獣のように、花弁がひとつとして舞っていない。木の幹には一振りの刀が立て掛けられ、その傍では異様に長い太刀を腰に提げた女がひとり、真顔で団子を頬張っていた。白い髪に赤い袴姿で、豊かな胸元にさらしを巻いた露出の多い女は、私の接近に気づいた途端に口角を吊り上げ、
「やあやあ、愛しい藻汐ちゃん、元気そうでなにより。お義姉ちゃん心配で心配で、思わず首を斬り落としちゃうところだったよ」
いつの間に抜いたのか恐ろしく長い刃が手に握られ、私の頬を小さな痛みと共にじわりと朱に染めた。
山田家長女、山田浅右衛門侘助。父の傍らで死刑執行人代行を勤め、あまりに多くの首を落としたために狂ってしまった人。
私の背丈の倍ほどもある六ツ胴の名刀、波文蛭巻大太刀『黄泉醜女』を自在に操り、さらに三本の刀を同時に振るう四刀流の使い手で、その技の源流は山田家ではなく出奔中に立ち寄った異国の技。義姉は父の振るう剛力の二刀に対抗するため、なにより数多くの人間を斬るために多刀術を学んだ。
もちろんどんな人であっても義姉であることに変わりはないので、私には戦う理由なんてないのだけど、義姉からすると義姉妹だからといって戦わない理由にはならない。刀を握って振るうことが出来れば、いや、刀が振るえようと振るえまいと関係なく、頭と胴が繋がっている人間であれば十分に斬る理由になり得るのだ。
「義姉上、私の腕試しは今度にしないですか? 私もこれでも忙しい身なんで」
「そうだね、じゃあ腕試しは今度にして、今から殺し合いにしよう! そうそう、藻汐ちゃん、これはお義姉ちゃんからの贈り物」
まったく聞く耳を持たないまま義姉は立て掛けていた刀を蹴って渡し、私がその鞘を掴むのを見届けて嬉しそうに微笑む。
刀は武士の魂だ、武士道を重んじる私や武士としての悟りを開いた父、同じく二刀を学びながら帝に仕える将軍の座を目指す義妹たちであれば、鞘を蹴るような真似は間違ってもしない。そんな邪道を堂々とやってのけるのが、義姉の強さの根本なのかもしれないけど、その強さに憧れたことは一度もないものの恐怖した数は両手足の指では遠く及ばない。
義姉が渡してきた数珠丸『無縁仏』は、これまでに迷宮で拾った脇差『豚殺し』、落葉『骸野晒』と同じく、義姉の多刀術に用いられる一振り。切れ味だけなら私の腰にぶら下がっている骨食をも凌ぐかもしれない大業物だ。それを渡してきたということは義姉に残された刀は一振り、見たところ本当に大太刀しか帯びていないようで、つまりそれは私程度なら多刀術を使うまでもない、という評価に他ならない。
私が格下なことには違いないんだろうけど、随分と舐められたものだ。
「義姉上、私風情なら一本で十分だとでも? ずいぶん甘く見られたもんですね」
「もー、藻汐ちゃん、ひねくれ過ぎ! お義姉ちゃんの愛情が伝わらないなんて、私は悲しいなあ……そんな酷い義妹、喜んで斬るしかないじゃない」
義姉が大太刀を握ったまま右手を振り上げ、僅かにゆらりと体を揺らしたその刹那、背中を弾かれたように予備動作無しに間合いを詰めて、ゴリラの腕に嵌められた爪を切り落とし、返す刀でゴリラのもう片腕の爪を切り飛ばす。亜流、飛燕。速さに特化した異国の武技で、体の捌きは無拍子と縮地、刀の振りは上から下へと跳ね上がる龍尾剣に近いものがある。
「ゴリラくん? さん? それとも、ちゃんかな? ゴリラくんさんちゃんは手出し無用でお願いします」
義姉は驚いて硬直したゴリラの眉間に柄頭を打ち込んで引っ繰り返し、そのまま楽しそうに私に振り返るや否や、太刀を大きく振り回す。太刀の間合いからは外れているけど、この義姉には無駄な動きはひとつもない。一挙手一投足のすべてが人を斬ることに繋がっているのだ。
私はもし刀身が伸びたとしたらと想像して、刃の軌道から身を外すように動く。と同時に私の背後の桜の幹に大きく、斧でも打ち付けたような亀裂が走る。術理はさっぱりわからないけど、斬撃をそのまま遠くに放ったようだ。養父上も若かりし頃に学んだ広大な大地の国で、衝破というこれと近い技を会得した。
義姉は私が避けたことが余程嬉しいのか、バネのように一定間隔で地面を跳躍し、今度は足を大きく踏み出して、その勢いで上半身を限界まで伸ばし、大太刀の間合いを最大まで引き延ばした。本来届かない間合いから太刀が襲ってくる。太刀筋は乱暴な横薙ぎとはいえ、そこに速さと重さが加わるのだからたちが悪い。一度は刃を縦にして受け流したものの、ぐるりと回りながらさらに加速と遠心力を上乗せして斬りつけてくる。
受け切れないと判断して後ろに跳んだ私の足を見えない刃が横に薙ぎ、具足を叩き割って肉を抉る。骨には達しないものの動きを封じるには十分な一撃で、私は怪我を庇うように片膝を着き、義姉に対して致命的な隙を見せてしまった。
その隙を見逃すような優しさを持ち合わせた人ではない、むしろ人でなしの過ぎる人だ。ゴリラを強襲した予備動作のない体捌きで間合いを詰め、がら空きの頭に刃を振り下ろす。けれど私も一介の武士だ、義姉が格上だろうと身内であろうと、むざむざ斬り伏せられるつもりはない。
立膝に力を込めて上体を起こしながら、そのまま刃を垂直に振り上げて飛び込んでくる義姉のいる空間を、一太刀で両断する。
「一刀流奥義、一閃。御座式『七曜変化』」
養父上から授かった山田家の剣術の奥義には、座した姿勢から繰り出す技もある。帝や主の身を守るために座した体勢から刀を振るい、切り上げでも横薙ぎでも背面斬りであっても不届き者を斬り捨てる一閃の型だ。本来、義姉に振るうような技ではないけれど、命には代えられない。
確かな手応えと共に刃が頭上まで立ち上る。桜のように鮮やかな紅色が目の前で広がったかと思うと、赤い幕の向こうから強烈な爪先が伸びてきて、私の胴の真ん中を突き飛ばした。無防備な上体を打たれた私は、軍馬に撥ねられたような衝撃で床の上を転がり、そのまま床を踏み抜いて下の階へと落とされた。
不覚だ。義姉は私の後ろの床が意図的に脆くなっていることを知って、あえてそこに向けて蹴り飛ばしてみせたのだ。刀を一振りにしただけでなく、落とし穴に落として済ませる手心まで加えられた。
「ちくしょう……!」
私は悔しさで受け身を取るのも忘れ、そのまま頭を打ち付けて意識を彼岸の彼方へと流してしまった。
わしらの目の前に急に現れた女は、突然意味のわからない凶暴女バトルをおっ始めたかと思うと、馬鹿みたいに長い刀を寝かせて浅のこんしんの一撃を受け止め、そのまま浅を蹴り飛ばして落とし穴へと放り込んでしまった。さすがに無傷とはいかなかったようで、布切れを巻いただけの胴から大量の血を噴き出し、ぜえぜえと息を荒くしながら短くなった刀を杖代わりにしている。
「……あー、ゴリラくんさんちゃん……もしおちゃんに次はこうは行かないよって伝えといてください」
「わしは伝令係ではない。ゴリラ率いるの長にして、山田とゴリラの真のリーダーなのだ」
「……いや、もしおちゃんと違って、私はゴリラ語はわからないんですよ……まあいいです、頼みましたからね」
女は傷口にメディカを何本も浴びせて応急処置を済ませ、そのままアリアドネの糸を使って迷宮から抜け出した。
まったく意味がわからない女だった。あれは一体全体なんだったのだ? 浅の姉のようだったが、姉妹で斬り合うのも意味がわからんし、こんなところで斬り合う理由が全く見当たらん。山田家のためにという浅もいまいちわからんが、人間というのはまったくもって理解不能な連中だ。
敵もいなくなって特にやることも無くなったわしは穴の下で目を回している相棒を拾い、町まで運んでやったのだった。
うるさい、ゴリラ! 私が寝ている間に勝手に書くな!
浅(山田浅右衛門藻汐)
ブシドー レベル70
<装備>
骨食、ロリカハマタ、ガントレット、紫のアンクレット
<スキル>
上段:卸し焔
青眼:小手討ち、月影、雷耀突き
居合:首討ち、鎧抜け、抜刀氷雪
其他:鞘撃
剛莉羅
ペット レベル70
<装備>
風斬りの爪、黄金の首輪、幸運のネックレス、キノコ型の飾り
<スキル>
攻撃:アニマルパンチ、丸齧り、引っかき、体当たり
回復:傷舐め、自然治癒、自然回復、最後の足掻き
補助:咆哮
探索:野生の勘